生きづらいふ

人生をクリアに、シンプルに、さわやかに。

自己愛と完璧主義によって卒論が書けないのでハードルを下げる

大学の卒論のしめきりまで、ちょうどあと1ヶ月くらいになっています。それなのに、いまだ1文字も書いていません!さすがにやばいです。提出できないと、卒業できません。単位はばっちり取ってるし、成績もいいのに、卒論出さないと卒業できません。

心が苦しくなったときはLINEを使って吐き出そう

心がつらくなったとき、苦しくなったとき。ずっと心のなかに抱え込んでいるより、どんな形でも外に吐き出したほうが楽になる。紙に書き出すのでもいいし、声に出すのでもいい。感情をアウトプットすることで、すこし気楽になるし、思考が整理されて、「あれ…

ブログやってたおかげで「なんとかなる」という感覚を覚えた

今日、久しぶりに派遣バイトに行ってきたんですよ。というか、じつはこれ今日の朝に書いてるので、実際にはこれから行ってきます。(現在、8:10)たしか8月の下旬に働いたっきり働いていなくて、ついに無一文に近いのでさすがに働いてくることにしました。単…

ダメダメな自分を抜け出すヒントは前頭連合野にあるのかも?

いま大学で、人間の脳に関する講義を受けている。人間の心とはどこにあるのか?と考えたときに、「心とは脳のはたらきの一部である」とする研究分野の基礎的な内容を学んでいる。

人間が抱える生きづらさなんてきっと今も昔も大差ない

生きづらさを抱えている人間として、ここにさんざん悩みを書き散らしてきた。家庭環境がすこし特殊だったり、毒親っぽい両親に育てられたりして、多くの人が抱かないような苦しみを抱えながら生きているのだ、と語ってきた。

どれだけ学ぼうとも”腑に落ちて”いなければ意味がない

生きづらさを抱えていた僕は、ネットや書籍を駆使して、いろんな情報を手に入れていた。アダルトチルドレンや愛着障害についての知識だったり、生きづらさと関連がありそうな書籍だったりを調べて、知識を蓄えていった。

僕がコミュ障である理由/「嫌われたくない」が最優先

僕がコミュ障である理由を考えてみた。たぶん、どんな人と接するときにも、「嫌われたくない」という思いが先行してしまっているからだと思う。オープンな態度というよりは、自分を閉ざした状態で人と接しているから、うまく自分を表現できないのだろう。

被害妄想のせいで落ち込みぎみの今日/「ダメなやつだな」

ここ数週間はとても調子がよかったのに、今日はひさしぶりにすこし落ちこみぎみだ。「生きづらさ、克服できたなー」なんて思っていたけど、まだまだそうはいかないみたいだ。というか、気分が落ちこむことなんて誰にだってあるから、これは生きづらさとは言…

他人の笑い声や愚痴を聞くと、自分のことだと思ってしまう

最近、生きづらさを感じる瞬間が減ってきたと言いはしたけど、いまだに日常のなかで心にダメージを食らうちょっとしたできごとがある。なかでも、わりとありがちなのが、「知らない人の笑い声や怒りの声を、自分に向けられたものだと錯覚してしまう」という…

家族とおなじ部屋にいると落ち着かない

自分の家であっても、いつも肩肘をはって生活している。親や兄弟と同じ空間にいるだけでも、視線が気になってしまい、どこか落ち着かない。たまたま家のなかに誰もいない瞬間が訪れると、すーっと肩が軽くなる。 べつに家族とケンカをしているわけでもないし…

生きづらさは「服を脱げば」克服できる

昨日は、リバハチで開催された焼肉パーティに参加してきた。ちょうど八王子で花火大会があり、その花火がリバハチの屋上から見れるかもしれないから、屋上でBBQやろうという企画だった。 がしかし、直前になって屋上から花火は見れない、ということが発覚。…

生きづらさから抜け出すには、やっぱり「人」と会うしかないのかもしれない

8日ぶりのブログ更新。1度、ブログを書こうとはてなブログの編集画面を開いたのだけど、10分以上考えてもネタがなかったので書くのを断念した。じつは今日もあまりネタがない。だけど今日は、ネタがないことをネタにして書いてみようと思う。 このブログのタ…

見捨てられ不安が強いから、「働きたくない」は禁句

「働きたくない」 これだけは、実際に口に出すことができない。文字にするのも、すこし勇気がいるくらいだ。働きたくない、なんて情けないことを言ってしまえば、人々に見下され、「ダメ人間」認定されてしまう気がするからだ。(ダメ人間だと自称してるくせ…

「自分は存在していい」という感覚がない

自己愛性パーソナリティ障害。自分は特別な存在だとし、肥大した自己意識を持つ。一見、ナルシストのような自分大好き人間に見えるが、その背景には強烈な劣等感を持っており、その裏返しとして他者からの評価を求め続ける。 ACだとか、真面目系クズだとか、…

彼女とうまくいっていない/自己愛性人格障害

最近、彼女とうまくいっていない。ケンカしたとか、相手を怒らせたとか、そういう分かりやすい状況なわけじゃない。はっきりと原因は分からないけど、なんだかギクシャクしている感じ。もしかしたら、このまま終わってしまうような気も...。 ここ数か月、お…

「生きづらさを抱えている人の集会所」を作ります!

ほんとうに突然だが、「生きづらさを抱えている人の集会所」を作ろうと思っている。今までに何回か言ってきたことだけど、それを本当にやってみようと思う。生きづらいふ読者の方に、ちょっと興味を持って聴いてもらいたい。

時間もあるし環境にも恵まれてるのに、今を楽しめない

大学生というのは、時間がたっぷりある。とくに文系は。大学にもよるんだろうけど、僕の大学は普通に講義に出て、普通に試験受けてれば、簡単にそれなりの成績が取れるので、勉強に追われるという感覚があまりない。だから、基本的に時間は有り余る。

今まで失敗してこなかったから、社会に出るのが怖い

昨日書いた記事に対して、こんなコメントが届いた。 そのままマイペースに頑張らないを続けてください。他人が決めた成功とか幸せとか追い求めて、かけがえのない自分の人生を無駄にしないでください。 人生舐めるのって結構贅沢な環境で育たないとできない…

僕は人生を舐めている、けどきっと僕だって頑張れる

僕は人生を舐めている。社会を舐めている。だから、こうして努力もせず、呑気に暮らしている。 けど、頭の片隅では「このままじゃダメだ、このままじゃヤバイ」と思っている。思っているけど、本気になって動き出せない。いろんな不安や恐怖、葛藤があってマ…

父親は怖かった、だってあの暴力は理不尽だもん

これまでの人生のなかで、両親との思い出はもちろんいくつかあるが、もっとも印象的なのはきっとあれだ。それは「思い出」というよりは、「事件」なんだけど。 あれは僕が何歳のころだったか。たぶん小学3、4年生だったと思う。僕は4つ下の弟と7つ下の弟、そ…

頭と心がリンクしてくれない問題

僕は自分の生きづらさを解消するために、今在学している大学の学部を選んだ。人間とは?人間の心とは?人間の人生とは?といった疑問を解消したかったのだ。そして、大学4年になった今、その疑問は解消されたのか。生きづらさは解消できたのか。 結論からい…

過剰なプライドとは、この世でもっとも邪魔なものである

自分への誇り。そういう意味では、プライドは誰しもが持っているべきものだ。しかし、行き過ぎたプライド。必要以上のプライド。虚栄心とも言い換えられるようなプライドは、この世でもっとも邪魔なものでしかない。 自分に自信がないことを隠そうとするため…

意外と馴染めた合同説明会の感想は、「やっぱり人間力が大事」

世間では3月からスタートしていた就職活動。世の中の新・大学4年生たちはせっせと就活を始めているなか、僕はまだのんきに春休みを過ごしていた。ただ、大学がはじまってスーツを着て大学に来ている友人たちを見て、「そろそろヤバイのかな」と焦りはじめた…

「反省はするけど、改善はしない」それが自己愛が強い僕の欠点

高校時代、友人に突然言われた。 「おまえの欠点分かったわ。反省はするけど、改善はしないとこ」 この指摘が的を得すぎていて、言われた当時はかなりの衝撃を受けた。それからよくこの言葉を思い出す。何度思い出しても、的確な指摘すぎてなにも言えない。 …

ほんとはバカなくせに賢い自分に憧れて行動できない僕

ほんとはそこまで頭よくないんだよ。自分の頭で考えられないんだよ。 でも、昔から学校の成績はいいんだよ。記憶力はあるから、テストはできるんだよ。直前に知識詰め込んでおけば、テストなんてだいたいなんとかなるんだよ。 でも僕はそういうまじめなだけ…

生きづらさは僕の武器だ!自分で書いた過去の文章に励まされた話

このあいだ久しぶりに大学に行って友達と会った。そこでこれまた久しぶりに自己嫌悪してしまった。友達と会って話してみて、いろいろと自分のダメなところに気付いてしまって、「やっぱり俺、ダメじゃん...」と落ち込んでしまった。そんなときにふと、このブ…

自己嫌悪してしまう人は、毒親による人格否定が原因かもよ

僕が物心ついたときから、母親は父親を激しく嫌っていて、いつも人格否定していた。いつのまにか僕も母に倣って父を嫌っていて、僕は「絶対に父のようになってはいけない」と思うようになっていた。もしかしたら、この人格否定が原因で僕は自分で自分を認め…

僕が「生きづらさ」を感じるキッカケになったあの日の出来事

今までさんざん僕が言ってきた「生きづらさ」。その生きづらさは、おもに強い自己嫌悪感が原因になっているのだけど、そもそも僕が激しく自己嫌悪するようになったのは、高校3年のある日の出来事がキッカケだった。

自己嫌悪による生きづらさから、自己愛によるクズへ

人と会う機会が増えたからなのか、一人暮らしを経験したからなのか、なんなのかよく分からないが、最近生きづらさをあまり感じなくなってきた。しかし逆に、今度は自己愛が強くなってきてどんどんクズになっていっている気がする。

「決めるのは自分だ」という強い意識が人を自由にする

人から強制されたり、強要されたり、無理強いされたとき、誰だって不自由に感じるはず。そのことを分かっているからこそ、自分は相手の意思を尊重してあげようなんて思ったりする。でも、それじゃあ自分自身の主張を相手にぶつけられない。