生きづらいふ

人生をクリアに、シンプルに、さわやかに。

人生は複雑なものだと思い込んでませんか

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私たちが生きる世界に、人間はいろんなものを作り出しました。パソコンやケータイ電話・車や飛行機などの科学が生み出した産物はもちろん、社会という抽象的なシステムまで人間は作り出しました。国や政治・経済・教育など私たちが生きる世界には、さまざまなシステムが存在します。それは人間がより生きやすい世界を生み出すために作られたものです。争いを避け秩序を守り、平和な世界にするために人間が試行錯誤しながら作り上げてきました。そして、それは今も常に変化を遂げながら、人間社会を形成しています。

 

多くの人間の赤ちゃんは、病院という施設で安全にこの世に誕生します。そして、そこからはさまざまな社会制度に支援されながら1人の人間として成長していきます。7歳からは教育を受けます。小学校、中学校、高校、大学と段階を踏んでさまざまなこの世界の知識を身につけます。教育を受け、立派に成長した人間は、人間社会の中心に飛び込みます。自分で見つけた職に就き、働くのです。お金がなくては人間は生活できません。生活ができなければ、人間は死にます。だから人間は働きます。安全な家に住むために、食べ物を食べるために人間は働きます。40年も50年も働いたあとは、社会の援助を受けながら残りわずかの人生を生きます。自宅で介護を受けながら、通院を続けながら、あるいは老人ホームに入所してゆっくりと人生のゴールまでの時間を過ごします。そして、時が来たらその人生を終えます。今まで続けてきた人生はなんだったのかと思うほど、一瞬にして人の命は終わります。

人間が誕生し、そして死ぬまでにはさまざまな社会的なイベントがあります。学校に行く・会社に行く・納税する・結婚する・受験をする・就活をする・離婚するなどなど、挙げてもきりがないほどさまざまなイベントがあります。これらのイベントが現代を生きる人間にとって大きな意味を持っています。これらのイベントに私たちは一喜一憂します。喜んだり、楽しんだり、落ち込んだり、悲しんだり・・・さまざまな感情を経験します。人間が作り出した社会的イベントは人間の人生に大きな影響を与えているのです。

 

しかし、そのどれも人間にとって必須ではありません。人間がどれほど有能で高度な知能を持っていようとも、私たちが動物の一種であることには変わりません。結局は生まれて、そしていつかは死ぬ。動物だろうと人間だろうとそれは同じです。たまたま奇跡的にこの世に生まれた私たち人間は、さまざまな工夫をして複雑な社会を作り上げてきました。その複雑な社会のせいで人生もとても複雑なものに思えてしまいますが、実はとてもシンプルなのです。生まれて、そしていつか死ぬ。ただそれだけなのです。できるだけ生きていくために物を食べ、安全に寝れるところを確保する。人生はただそれだけで十分成り立ちます。人生に成功も失敗もありません。ただただ生きているだけでそれは立派な人生です。人間が高機能であったために、よりよい人生を求め複雑な社会を作り上げました。しかし、それは皮肉にもごくシンプルなはずの人生を複雑にしてしまいました。人生なんてただ生きるだけで十分なはずなのです。

 

ただ生まれて、いつか死ぬ。人生はただそれだけだと言うと、人生を悲観しているように思うかもしれません。でも決してそんなことはありません。複雑な人間社会の中で、人は一喜一憂します。喜ぶときはいいのですが、憂いているときは人は人生に絶望してしまいます。受験に失敗してしまった、就職できなかった、離婚した、会社を首になった、などの社会的なイベントに失敗したときです。正直、開き直った考え方かもしれませんが、これらのイベントに失敗したからと言って人間の生命には直接関係ありません。むしろ人生に成功するか失敗するかということはまったく問題ではありません。ただ生き続けることができればそれでいいんです。

 

よい大学に受からなければ。よい会社に入らなければ。そんなプレッシャーに押しつぶされて人生に絶望する人がどれだけいるでしょう。絶望からあきらめに変わり、自ら命を絶った人がどれだけいるでしょう。人生に成功なんていりません。犬や猫や魚・虫などと同じようにただただ生きる。それだけでいいはずです。