生きづらいふ

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電車でお年寄りに席を譲れない、そんな自分を受け入れる

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人に親切にできない。

 

人間関係を円滑にするのにとても大切であろう親切とか気遣いがあまり素直にできない。たとえば、先輩に飲み物を注ぐとか電車でお年寄りに席をゆずるとか。もはや常識とかマナーに近い感じの行動がなかなかできない。

 

 

なんでできないのか自分でもよくわからなかった。そもそも自分には他人を思いやる心がないのか、親切心が微塵もないのかと自己嫌悪していた。電車で自分が席に座っていて目の前にお年寄りが立ったときも「あっ、席を譲らなきゃ」と使命感に襲われるのだが体が動かない。さっと席を立ち「どうぞ」と譲りたいと頭では思っているが、金縛りにあったみたいに体が動いてくれない。変な汗をかきながら自分自身に「ほら!立て!お前は心優しき青年だろ!立て!」と言い聞かせる。それでも動かない。結局、腕を組み下を向いて寝たふりをする。俺は最低だ・・・と自己嫌悪しながら目的の駅到着を待つ。

 

なぜ親切にできないのか。その理由として候補が2つある。

 

1つは、まさに今日考えついたもの。人から親切にしてもらったとき、僕は「ありがたい」という気持ちより「申し訳ない」という気持ちの方を強く抱く。もちろん、その親切の内容や相手にもよるんだけど。特にあまり親しくない人などから親切にしてもらうと「申し訳ない」と思う度合いは強い。「あっ、迷惑をかけてしまった。」とか「わざわざ気を使わせてしまった」とか思ってしまう。素直に「ありがたい」と感謝することができない。ただただ申し訳ない気持ちになる。

だから逆に僕が、人に親切にしたら相手は僕と同じように「申し訳ない」と思ってしまうんじゃないかと不安になる。僕がその人にした親切によってその人は「この人に気を使わせてしまった」と反省してしまうんじゃないかと思ってしまう。自分と同じように相手も「申し訳ない」という気持ちを抱くんじゃないかと察知した結果、僕はそんな気持ちを人に味合わせてはならないと思い、親切な行動をしないんじゃないかと思った。

 

もう1つの候補は、周りの目を気にしすぎてしまうことだ。僕はいつも周りの目を気にする。気にしすぎるあまり、自分の行動に支障が出るくらいだ。なぜそんなに人目を気にするのかというと、たぶん人に注目されたくないのだと思う。もっと言えば、人に自分について評価されるのがこわいのだと思う。僕が良い行動をするのか悪い行動をするのか関係なくだ。僕が何かをしているのを人が見て、その人が僕に対してなんらかの感想を持つこと、評価を下すことがこわい。もちろん、良い印象を持たれたりするのならうれしいんだけど、そもそも自分に自信がないからそんな期待も持てない。基本的に人は自分に悪い評価をするだろうと思っている。だから僕は目立ちたくない。

そういう感情があることによって、親切ができないのではないか。僕が電車内で突然席から立ちあがり、お年寄りに席をゆずったら少なからず近くの人はその光景を視野に入れる。そのときにその人たちが僕に対して評価を下すのがこわいから、僕は動けないのではないか。青年がお年寄りに席を譲るという行為が悪く評価されることはあまりないとは思う。それでも、僕の体が、頭が、心が人から評価されることを拒絶している。「だめだ、動くな」と警告を発している。その警告に従ってしまうから、僕は人に親切にできないのかもしれない。

 

いまのところ考えられる理由が以上の2つだ。どちらかが正解なのではなく、どちらも正解なのかもしれない。仮にそうだとしても、僕が人に親切にできない理由が分かったところでどうしようもない。僕が人からの親切に「申し訳ない」と思ってしまうのはすぐには変わらないし、人目を気にするのだってそんなのは生まれた頃からしているのだから。じゃあ僕は一生、人に親切にできないのか?正直、それでもいいと思っている。少なくとも、僕は人に対してマイナスな行動、つまり迷惑をかけるようなことはできないのだから、親切にするというプラスの行動ができなかったとしてもプラマイゼロだ。もともと人間関係に積極的ではないから、人との関係がプラマイゼロならそれで十分だと思う。

 

一番重要なのは、人に親切にできない自分を責めないことだと思う。自分を責めることで余計に固まってしまう。自己嫌悪に陥ってさらに自分に自信をなくす。そうなっては負のスパイラルに陥るばかりだ。それではよくない。たしかに人に親切にできないのは最低かもしれないけど、でもそれが今の自分なのだといったん受け入れること。そんな自分を愛さなくてもいいからとりあえず認めること。そうすれば、自分に余裕が出てくる。人に親切にできないかもしれないけど、それが自分なんだと認める。自分の悪いところを正当化しているようだけど、自己嫌悪して気分が落ち込むよりは断然こっちのほうがいい。自分を認めることで余裕が生まれる。余裕があれば、すっと席を譲れるときがくるかもしれない。譲れなかったとしても「これが自分だから」と認めることで自分を責めることもない。そんな自分に人がどう思うかは関係ない。最低なやつだと思う人にはそう思ってもらってかまわない。そのくらい開き直って、自分を認めることが大事だと最近思う。