生きづらいふ

人生をクリアに、シンプルに、さわやかに。

教師の話を聞くだけの学びは人間らしくない

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「学ぶ」とは何だろうか?

 

何かを学ぶことってどういうことだろう?何を達成したら学んだことになるのだろう?

 

僕たちは小さいころから学校で学ぶという行為を続けてきた。小学校から学ぶということを始め、人によっては大学、あるいはその先の大学院までその作業を続ける。しかし、学ぶことは何も学校だけで行うものではない。人は人生のどの時点においても学ぶということをしており、生まれた瞬間から死ぬ瞬間まで学びの連続だと言える。

 

でもここでは学校で学ぶこと、もっと言えば学問を学ぶこととは何なのかを考えることにする。

 

学校での学びといえばどんな様子を思い浮かべるだろうか?

教室に30人前後の生徒が机を同じ方向に向けてイスに座っている。生徒は黒板の前に立つ教師の話に耳を傾け、静かに授業を聞いている。教師によって多少スタイルは異なるが、基本的には教師が書いた板書をひたすらに自分のノートに書き写す。

だいたい学校の授業と聞いてまず思い浮かべるのはこんな光景だろう。

 

僕たちにとって「学ぶ」とは教師の話に耳を傾け、板書をノートに書き写すことだった。そして、試験で正しい解答をすることができると教師からその知識を「学んだ」という評価を得ることができた。

 

これが何かを「学ぶ」ということなのだろうか?

いや、僕は違うと思う。「学ぶ」とは、その知識に対して自分独自の考えを持つことであると思う。

 

何かを学ぶとき、僕たちは学校での一方的な授業に慣れてしまっているせいで、ただただ自分の頭の中に知識を蓄えることを目標にしてしまう。たしかに知識を多く知っていることは大事なことかもしれないけど、もっと大事なのはどんなことに対しても自分自身の考えを持つことだ。

 

知識を知っているだけではあまり意味がない。教師が話す内容をただ理解しただけでは、学びは完了しない。その知識に対して、自分の意見を持つこと・自分の考えを持つことで初めて「学んだ」と言える。

 

特に学問を学ぶときは、自分の意見を持つことが重要になる。学問はどんな分野でも明確な答えを持っていることが少ないように思う。絶えず研究が進められ、真実への探求が行われている。学問を学ぶ者は、その時点でもっとも真実に近いことを学ぶことになる。しかし、それは必ずしも真実ではないのだ。

 

ガリレオ・ガリレイは当時人々が信じていた天動説を否定し、地動説を唱えた。地球を中心にして、宇宙が回っていると当時の人々は本気で信じていた。しかし、ガリレオは回っているのは宇宙ではなく地球だと主張した。今となってはガリレオの主張が真実だというのは誰もが理解できるが、当時の人々はガリレオの主張を受け入れなかった。

 

このことからも分かるように、学問ではいつどこで真実が覆されるか分からない。それまで真実だと信じていたものが、180度ひっくり返ることだってある。

 

だから、僕たちは何かを学ぶときその知識が真実だと思い込みすぎずに、自分なりの考えを持つことが大切である。知識を覚えるだけでは機械的過ぎる。前提としての知識を理解したうえで自分はどう考えるか、という過程を経て、はじめてあなたは「学ぶ」という作業をしたことになる。

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