生きづらいふ

人生をクリアに、シンプルに、さわやかに。

日本人は素直に社会に従いすぎていると思う

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社会を変えるのはむずかしい。

この社会には「おかしいこと」がいっぱいある。

よくよく考えてみれば「なぜだろう?」という不思議な常識や暗黙のルールがたくさんある。

 

その社会の常識や暗黙のルールの中で生きるのはとても苦しい。

どうにも違和感があって、うまく適応することができない。

 

「仕事のあと、上司との呑みに付き合わなければならない」という常識がある。

最近は、平気で上司との呑みを断る若者が増えて、ちょっと話題になったりする。別に会社で決められているルールでもないのに、上司から誘われた呑みには付き合わないといけない、という常識が日本にはある。

 

僕は大学生だから、この職場でのルールに縛られるのはまだ未経験だ。だけど、早くもこのルールに縛られることに恐怖を感じている。同じようにこのルールに恐怖を感じている未来の新入社員、もしくはすでにこのルールに縛られて苦しんでいる会社員の方も多くいるだろう。

 

じゃあ「イヤ」で「おかしいこと」である、このルールを変えてやろうか。

社会の常識を覆し、この暗黙のルールを壊してやろうか。

 

そんなのはムリだ、と多くの人が考えるだろう。

 

「みんな、イヤだなあと思いつつも、このルールに耐えているんだ。」

「イヤだ、と思う自分が臆病で、わがままなだけなんだから、ルールを変えてやろうなんて自分勝手なことはしてはいけない。」

 

そう思う人が多いのではないだろうか?

 

「社会という存在にひとりの個人が抵抗したところで何になる?」

「社会に少数の凡人が異を唱えたところで何が変わる?」

「何も変わらないだろう。だから何をやっても無駄だ。」

 

そうやってあきらめているのではないか?

 

日本人は、社会に対して服従的であると思う。

社会はとてつもなく大きくて、自分なんかが影響を及ぼせる存在じゃないんだ、と社会に対してひれ伏している。

 

これには、日本は自然災害が多い国ということが大きく影響していると思う。

 

日本は昔から、台風や地震津波といった自然災害を多く経験してきた。日本人はそんな自然災害と生活を共にしてきた。幾度となく、自分たちの土地が襲われ、生活を破壊されてきた。

 

その経験から、日本人は「自然には逆らえない」と考えるようになった。自然に抗うことはできず、われわれは対策のしようがない、と自然に対して無抵抗になってしまったのだ。

 

同じように、社会に対しても自分の力など及びようがない、という意識が日本人にはある。納得できないことや、あまりしたくないことでも社会の常識だから、と潔く従う。

 

だから、日本人は社会や環境に適応する力に長けている。自分がしたいことがあっても、それがその環境では許されないことだと分かれば、素直に自重することができる。そういう意味では、とてもりこうな国民だと言える。

 

だけど、どうしても「イヤ」なことや「やりたくない」ことまでも、素直に社会に従ってやる必要があるだろうか。やりたくないことは「やりたくない」ともっと声を大にして言ってもいいのではないだろうか。

 

社会を変えるのはたしかにむずかしい。そう簡単に変えることはできない。だからって、仕方なく社会に適応して、やりたくないことをやり、自分のやりたいことを我慢する必要はない。

 

もっと社会に反発して、自由に生きてもいいだろう。

社会の常識に反するのは勇気がいることだが、自分のやりたいことに対して「絶対やるんだ!」という強い意志を持てば、きっとそれはできるんだと思う。