生きづらいふ

人生をクリアに、シンプルに、さわやかに。

コミュ障の人生を遊園地でたとえてみると分かりやすくなる

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いつのまにやら8月に。

暑くて暑くて、普段は青白い肌が日に焼けて肌色になっている。

 

 

今日は、コミュ障の人生・生活について簡単に書こうかと。

 

このブログの説明文や以前の記事でも書いてるとおり、僕はコミュ障だ。

そんな胸を張って言うことでもないけど、そうはっきりと自覚している。

人と接するのが苦手で、いつも人の前ではビクビク怯えている。

 

コミュ障として生活していると、やっぱり不便だなあと感じることがある。

 

たとえば、服屋やアクセサリーショップなどの店員が積極的に接客してくる店に抵抗感がある。

 

コンビニや本屋など、レジでしか店員と接しない店ならほぼ問題はない。だが、服屋などの店員はやたらと話しかけてくる。「気軽に試着してくださいね♪」とやたら言ってくる。なんだろう、あれは。「試着しろよ、おら」という脅しなのだろうか。やめてほしい。

 

ああいう機械的でないフランクな会話が発生する店にはなるべく入りたくない。1人で買い物に行くとき、そういう店は必然的に選択肢から除外される。

 

ほかにも、その店のシステムがよくわからない店なども選択肢から除外される。どういう仕組みの店なのか分からないと、オドオドしてしまいパニくってしまうからだ。

 

こうして、コミュ障が外出するときの行動範囲はかなりせばめられる。上の例以外にも、人を避けたいがために行動を制限する場面が多々ある。人通りが多い近道より、人が少ない遠回りの道を選んで歩くなど。

 

同じコミュ障の人にはいくらか理解してもらえると思うが、まったくそんなことない人にはよく分からないだろう。わざわざ自分の行動範囲をせばめてまで人を避けるなんて、と。

 

だが、考えてみればとても単純な話だ。コミュ障は人がコワイから人を避けるのだ。コワイものはできることなら誰だって避けたいはず。

 

言ってみれば、コミュ障の人生は

ジェットコースターが苦手な人にとっての遊園地と同じなのだ。

 

ジェットコースターが苦手な人が遊園地に行けば、必然的にジェットコースターは選択肢から除外され、そのほかのアトラクションに乗って楽しむだろう。コワイものに無理やり乗ったって楽しくないし、避けるのは当然だ。

 

コミュ障の人生も同じで、コワイものを避け、残された選択肢の中で生活するのだ。確かにジェットコースターに乗らない遊園地同様に、コミュ障の人生は刺激の少ない人生かもしれない。でも、無理に挑戦するよりはおだやかな人生のほうがよっぽど良い。

 

とはいいつつも、確かに人生を損している感は否めない。もっと人生にいろんな選択肢があったほうが、楽しいだろうなあとも思う。だから、できる範囲でコワイものに挑戦することも時には大事だよなと思う。あくまでできる範囲で、だ。ジェットコースター恐怖症の人がいきなり、富士急ハイランドなんかに行っちゃいけない。まずは、花やしきから挑戦してみればよい。

 

コワイものはすぐには克服できないし、無理をする必要もないと思っている。いつもメリーゴーラウンドやコーヒーカップに乗っておだやかに生きててもいいと思う。その中で、「あ、今なら平気かも?」とか「これならいけそう!」と思ったときに、コワイものに挑戦してみるくらいでちょうどいいと思う。

 

人生という遊園地には、いろんなアトラクションがある。自分の好きなものに乗って楽しめばいいじゃない。刺激たっぷりの人生が好きな人もいれば、おだやかな人生が好きな人もいる。思い思いの楽しみ方をすればいい。