生きづらいふ

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「良い人=自分にとって都合の良い人」である

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「良い人」というのは、

厳密に言えば「自分にとって都合の良い人」だと思う。

 

自分が何かを欲していて、その何かを持っている他人がそれを自分に与えてくれたとき、人はその他人を「良い人」だと認定する。

 

道に迷っているAさんに、たまたま通りがかったBさんがていねいに道案内してあげたとする。

 

このときAさんは、「正しい道」という情報を欲していた。そして、Bさんはその情報を持っていたからAさんに提供した。Aさんが欲していたものを持っていたBさんは、「Aさんにとって都合の良い人」だったのだ。

 

「自分にとって都合の良い人」がたくさんいれば、理想的な人間関係・社会が築ける。自分が持っていて、他人が持っていないものをお互いに提供しあい、協力することが行われる人間関係や社会はとてもすばらしいように思える。

 

だから、みんなが「良い人」を目指すことは良いことだと思われる。

 

が、実際にはそう簡単にはいかない。

 

自分が持っていて、他人が持っていないものを他人に与えるときには、ある条件が必要になる。その条件とは、自分がそれを他人に与えたとき、自分の損失が大きすぎないことだ。 

 

さっきの例でいうと、もしBさんがとても急いでいた場合、Aさんに道を教えれば、Bさんは時間を損してしまう。Aさんが欲している情報をBさんが提供することはBさんにとって不利益になる。

 

こういう場合には、Bさんは「良い人」である必要はない。もっといえば、「Aさんにとって都合の良い人」である必要はないのだ。

 

 

人はいつどんなときでも「他人にとって都合の良い人」である必要はない。

他人に自分が持っている何かを提供したときに、自分の損失が大きくなる場合には無理に「良い人」にならなくてもいい。

 

本来は自分に余裕があるときに他人に親切にする程度でいいはずだ。

 

だが現代人のなかには、「良い人」であることを重要視しすぎている人がいる。

 

自分が「他人にとって良い人」であること、それと同時に他人も「自分にとって良い人」であることを強要しすぎている。

 

日本人はとくに自己中心的な人を嫌う。「他人に迷惑をかけない」ことを重んじ、自分勝手な行動をする人を受け入れない傾向がある。

 

日本は、自分のことしか考えない人を受け入れず、常に他人のことを思いやる人が喜ばれる社会だ。

 

人間関係において、他人を思いやることはプラスの行為、他人に迷惑をかける行為はマイナスの行為である。マイナスの行為を行うことは避けるべきだし、プラスの行為をするように心がけるべきである。

 

 だが、プラスの行為をするのはそれだけの余裕があるときに限られる。それだけの余裕があるときというのは、その行為によって自分がマイナスにならないときのことである。余裕がないときには、他人へのプラスより、自分がマイナスにならないことを重視するのが当然の判断である。

 

「良い人」であることを重視しすぎると、自分がマイナスになる危険があるにもかかわらず、他人にプラスなる行為をしてしまう。それは本来もっとも大切であるはずの自分自身にとって不利益になる。そういう場合には、人は自己中心的でいいはずだ。

 

自分が食べるものがないとき、他人の食べるものを探すだろうか?まずは自分の食べ物を確保するだろう。なにもそれは間違った行為ではない。そういう人に対して、「自分のことしか考えねーな」と批判するのは、「もっと俺に配慮しろよ」という自己中心的な考えがあるからだ。

 

基本的には人は自己中心的でいいのだ。自分がもっているものを他人が欲している、かつ自分に余裕があるときに「良い人」であるくらいで十分なのだ。