生きづらいふ

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この世に真実なんてないという哲学的な話

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この世に真実なんてないと思う。

何も悲観的に世の中を見ているわけじゃない。

この世には真実や正しいことなんて何ひとつない。

 

以前にも似たようなことを

空に浮かぶ白いあれは、ほんとに雲なのか?哲学っぽく考えてみたで書いた。

この記事では、「この世にある真実など、すべて人間がそう思い込んでいるだけだ」ということを述べた。

たとえば、目の前にえんぴつがあるとする。このえんぴつは本当に“えんぴつ”なのだろうか?こいつが“えんぴつ”と呼ばれているのは、人間がそう名づけたからだ。つまり、人間がこいつにえんぴつと名づけなければ、こいつは“えんぴつ”ではないわけだ。

 

 

でも、人々はこの物体を“えんぴつ”だと信じている。それが真実だと思い込んでいる。真実とは、誰がどう見ても、反論しようのないゆるぎない正解のことである。誰も、この物体がえんぴつだ、ということには反論しないだろう。だから、この物体がえんぴつだということは紛れもない真実だと人は思うのだ。

 

だが実際には、この物体が“えんぴつ”だという真実は、人間がそう名づけたことによって生まれたものである。いわば、人間が作り出した真実なのである。真実とは、人間が介入・操作できるようなものではないはずだ。だから、人間が名づけたことによって作り出された真実は、厳密には真実とは呼べない。

 

 この世には、人間が名づけたもので溢れている。というか、人が発する言葉はすべて人間が意思疎通を図るために作り出した記号だ。だから、この世にあるものほとんどすべてのものが人間によって名づけられたと言える。つまり、この世にあるものはすべて人間が作り出した真実なのだ。

 

海。それは本当に海か?たしかに海とよばれるものは存在しているが、“海”という名前は、人間が名づけた。もし、海に違う名前が付けられていたらそれは海とは呼ばれない。どこからどこまでを海と呼ぶのかによっても変わってくる。地上から見える部分を海と呼ぶのか、または海の中(海中)も含めて“海”と呼ぶのか。これほどに人間が作り出した真実は絶対的な真実ではないのだ。

 

だから、僕はこの世に真実などないと思う。それはすべて人間が作り出したものだからだ。真実とは本来、人間の手の及ばないゆるぎない正解のことなのだ。

 

この世に真実などない、と考えるとなんだかむなしくなるような気もする。正しいことなんかないのか、全部人間が操作している世の中なのか、と。たしかにこの世は人間が操作しているといっても過言ではない。

 

しかし、人間はこの世界で生きていく必要があるわけで。そのうえで、人々は正しいことと間違っていることの区別を共有しなければならない。海のことをある人は、「いちご」と呼び、ある人は「コンクリート」と呼んだりしていたらわけがわからなくなるからだ。これを「海」と呼ぶことにする、という定義をすることで、人々の間で間違いなく意思疎通を図ることができる。

 

そういう意味で、この世にあるのは真実ではなく、「共通理解」なのだと言えるのではないか。誰もがそれは「海」だ、と共通して理解している。それは真実なのではなく、共通理解なのだ。

 

だから、日常生活において、あまり自分の考えを真実だと思い込みすぎると、相手と衝突が起きる。この世に真実などないのだから、相手との「共通理解」を作り出さなければスムーズな意思疎通はむずかしい。

 

 

今日は、あまりにネタがなくて抽象的な話をだらだらと書いてしまった。自分でも何を言ってるかよくわからないし、日本語もぐちゃぐちゃだと思う。哲学的な話をわかりやすく説明するのはとてもむずかしかった。

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