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生きづらいふ

人生をクリアに、シンプルに、さわやかに。

社会的な動物である以上、人は自由に生きることはできない

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最近、なんとなく考えていることがある。

 

「そもそも自分以外の人間が存在している時点で、自由に生きるって無理なんじゃないか」と。

 

 僕はよく自由に生きれたらいいなあ、なんてぼんやり考えている。同じことを考えている人も少なくないと思う。

 

「自由に生きる」ことの定義を考えたとき、それは人によってさまざまあると思う。僕の場合は、とりあえず「自分の行動を自分自身の意思で選択し、それを実行できること」と定義しておく。自分のやりたいように行動できることが自由に生きることだと僕は思う。

 

では、そんな自由な生き方をすることが今の社会では可能か?と考えてみる。

 

たぶん、自分で選択した行動が常識の範囲内であれば、自由に生きることは十分に可能だと思う。買い物に行くとか、レストランで食事をするとか、ごく普通の行動であればほぼ何の問題もなく自由に行える。

 

だけど問題なのは、自分のしたい行動が常識はずれな行動である場合は実行することがかなり難しくなるということだ。本人にとってはしたいことであっても、自分以外の人間にとってその行動が常識はずれであった場合、実行を躊躇せざるを得ない。

 

その常識はずれな行動が、単に「普通とは少し違うこと」であったら、本人が他人からの目線を気にさえしなければ実行することはできる。だが、もしその行動が他人に迷惑をかける行為であったなら、それを実行することのハードルは高くなる。

 

この世には自分以外にも大勢の人が生きている。その現実がある以上、自分の行動は少なからず他人に影響を与える。それが他人にとってマイナスな影響を与える行為ならば、その行動を選択することは難しくなる。他人に迷惑をかける行為は慎まなければらないのが当然だ。

 

ということは、人は100%自由に行動を選択することは無理だということになる。もし、この世に自分1人しかいないならば、完全に自分の意思に沿って自由に生きることができるだろう。しかし、この世に自分以外の人間がいることはどうしようもない事実だ。

 

こんな書き方をすると、他人を邪魔者扱いしているように思われるかもしれない。社会性の乏しい僕にとって、他人とうまく折り合いをつけながら関係を築くことが難しい。他人の目線を気にしすぎて、自分の行動を過剰に制限してしまったりする。その結果、自分の中で不自由な感覚が強くなる。僕が勝手に他人の存在を強く意識しすぎてしまうがために自分の自由を奪っているのだと思う。

 

だから、本当は僕はもう少し自由に生きることができるのだと思う。だけど実際は、僕が自意識過剰であるせいで自分の生活に不自由を感じることが多い。それでこんなことを考えるようになったのだ。

 

自分以外の人間がいる以上は、人は完全に自由に生きることは無理だ。「他人に迷惑をかけてはいけない」という暗黙のルールを意識しながら、自分のする行動を選択しなければならない。それが僕の出した今のところの結論だ。

 

では、「他人に迷惑をかける」行為とはどんな行為なんだろう?どこまでがセーフでどこからがアウトなんだろう?

 

次の考え事ができてしまった。

 

他にもこんなこと考えました

© 2014 enpitsu