生きづらいふ

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街行く人々の目線がコワイから僕はメガネを外して歩く

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僕はいつもメガネをかけて生活している。寝るとき以外は基本的につねにメガネをかけている。

 

裸眼だと視力は0.1~0.2ほどしかなく、数m先にある文字を認識することがむずかしい。この文章を打っている今、試しにメガネを外してパソコンの画面を見てみたが、文字がぼやけて見えて、まったく読むことができなかった。

 

物体の詳細を認識するのが困難なほどに視力が悪いため、普段メガネをかけているのだが、最近はあえてメガネを外して生活することにメリットを感じ始めている。 

 

僕は最近、1人で外出をするときにメガネを外すようにしている。何かあったときに困るので、いつでもかけれるように持ち歩いてはいるが。

 

なぜそんなことをするのか言うと、街行く人々の顔色を伺いながら歩かずに済むからだ。

 

僕は1人で街を歩くとき、つねに街行く人におびえながら歩いている。人通りの多い土日なんかに外に出るとなおさら恐怖は増す。

 

何がそんなに怖いのかと問われても、自分でもよく分からない。でもとにかく周囲の人間が怖い。対人恐怖症なのかもしれない。

 

街行く人とすれ違うとき、僕のことをチラっと見る人もいれば、まったく目もくれず通り過ぎる人もいる。僕のことをまったく知らない人がほとんどなのだし、人々は僕のことを気にも留めないだろう。

 

それでも他人の目線が気になってしまい、おどおどしながら歩いてしまう。反対に僕は、すれ違う人々の顔色を伺うように相手の顔を確認しながら歩く。

 

あまり自覚はなかったが、僕は外を歩いているとき、正面ではなくすれ違う人々の顔を見ながら歩いているようだ。そこまでまじまじとは見ていないと思うが。

 

そうして自分にとって恐怖の対象である人々の顔色を伺いながら、安全を確認しつつ街を歩いている。しかし、これはとても疲れる。

 

もともとあまり外出しない方ではあるが、たまに買い物に行ったりする。周囲の顔色を伺いながら街を歩き、用事を済ませ家に帰ると、どっと疲れが出たりする。外にいるときはつねに気を張って歩いていて、家に帰ったとたん緊張の糸が切れたような感じになる。

 

しかしあるとき、ふと思いついてメガネを外して外を歩いてみた。すると、人の存在自体はもちろん見えるが、その人の表情までは見えない。そのため、あまり人の目線を気にせずに歩けるようになったのだ。

 

人に対する恐怖がゼロになったわけではないが、メガネを外すことによっていくらか軽減することに成功した。

 

僕は、冬になると風邪を引いているわけでもないのにマスクをして外出する。マスクで顔の下半分を覆うことでなんだか安心するのだ。これも周囲の目線を気にしなくて済むことが影響しているのだと思う。

 

マスクをして顔を覆うことで周囲の目線を防御する。そして、メガネを外し自らの視力を奪うことで周囲の目線を認識しなくする。

 

街行く人は僕に何か危害を加えるわけじゃないけど、僕にとって周囲の目線は危険な存在だ。その危険から身を守るための工夫を僕は新たに見つけてしまった。

 

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