生きづらいふ

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もっと好奇心に忠実に生きていいんじゃない?(テレビで落合陽一を見て)

誰もが持っているはずの“好奇心”。「なんかおもしろそう!」「これってどうなってるんだろう?」「もっと知りたい!」そんな風に好奇心が芽生えることは誰にでもあると思う。

 

ついさっき、ふと思った。

 

もっと好奇心に忠実に生きたら、人生ってすごくおもしろくなるんじゃないかな、と。

 

さっきテレビで、落合陽一という人が出ていた。東大合格者数トップの開成高校、そして筑波大学を卒業したあと、マイクロソフトで活動したりと、まさにエリート街道まっしぐらという感じの人物。

 

この人はなんだか難しい研究活動をしているらしい。根っからの文系の僕にはまったく理解できないことをやっていた。大量の小型スピーカーから特殊な超音波を出すことで、空気中に「見えない場」を作り出し、そこに小さな粒を当てると粒を空気中に浮かすことができるとかなんとか。

 

テレビを見た人なら分かると思うが、見ていない人に伝えるのはちょっと難しい。とりあえず、なんだかすごいことをやっている天才がいるということだ。

 

本題は、彼がとても自分の好奇心に忠実に生きている、ということだ。

 

彼は3歳のころに、家にあった電話を分解していたらしい。その理由というのが、「こっちで鳴った音が、向こうの人に聞こえるのってすごい不思議。いったいどうなってるんだろうって思ったから」らしい。

 

その後、彼は科学に興味を持ち、科学教室へ通うようになる。そして学生時代、理科で優秀な成績を修め続け、天才への道を歩んだ。

 

 

僕がすごいなと思ったのは、彼が好奇心の赴くままに科学に没頭したこと。彼は小さいころから、「これってどうなってるんだろう?」という好奇心に忠実に生きた結果、世界から注目を集める研究者になったのだ。

 

学校では、全教科で良い成績を取ることが優秀だとされる。国語や数学、英語・理科・社会。それだけでなく、体育や美術、音楽などもある。たとえ英語だけ通知表で5がついても、他の教科が2とか3だったら、あまり優秀とは思われない。

 

だから、多くの子どもたちが自分の好奇心に忠実に学ぶことを阻止されてしまう。英語がすごく好きで得意だったとしても、他の教科にも努力を注がなければいけないからだ。

 

だけど、もっと自分の「おもしろそう!」とか「もっと知りたい!」「これどうなってんの??」という純粋な好奇心を大事にしてもいいんじゃないかと思う。

 

学校ではすべての教科でまんべんなくできることが評価されるから、みんなまんべんなくできるように努力する。そのうち、自分がおもしろいと感じる教科や分野が分からなくなってしまう。わかっていたとしても、そればっかり取り組んでいるわけにもいかなくなる。

 

大人になるにつれ、好奇心よりも現実的な選択を重視するようになる。職業を選ぶときにも、「おもしろそう!」とか「やってみたい!」ということよりも「良い給料」とか「安定した企業」を重視する。

 

大人になるというのは、好奇心よりも現実を考えなくてはいけないものなのかもしれない。でも、それはなんだか悲しいし、つまらないと思う。もっと好奇心に忠実に生きる余裕があればいいのにと思う。

 

「好きなことを仕事に」なんて夢物語だって思っている大人たちも多い。だけど、それは厳しい社会に揉まれた大人たちが抱えるコンプレックスのようなものであって、まったく無理な話でもないと思う。現に、好きなことを仕事にしている人はたくさんいる。

 

好奇心というのはすごく強いパワーを持っていると思う。そのパワーを思う存分、発揮できる余裕が社会にあれば、もっと人生が楽しく、充実したものになると思う。

 

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