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生きづらいふ

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「いまどきの若者は...」って否定してもなんの意味もない (『オタクはすでに死んでいる』を読んで)

書評

岡田斗司夫さんの『オタクはすでに死んでいる』を読んだ。

 

タイトルどおり、オタクが死んでしまったという内容の本。しかし、オタクが死んでしまったとはどういうことなのか。

 

簡単に言えば、岡田さんがいまどきのオタクに違和感を覚えるようになったということ。岡田さん自身がオタクであることもあって、どうも昭和時代のオタクと平成時代のオタクはなにかが違う、と感じたことからオタクの分析が始まる。

 

オタクには第一世代と第二世代、そして第三世代があるらしい。岡田さん自身はオタク第一世代に含まれる。各世代の特徴は以下のようにまとめることができる。

 

第一世代・・・オタク貴族主義

第二世代・・・オタクエリート主義

第三世代・・・自分の気持ち至上主義

 

まずオタク貴族主義は、「俺たちオタクは子どもじみた趣味を持っている。それは一般人からしたらおかしなことかもしれないけど、そんなのしったこっちゃない。」という姿勢を持っている。

 

「貴族だから一般庶民と感覚が違って当然。いいとか悪いとか、劣っているとか優れているとかいう問題じゃない、違うんだから仕方がない」というのがオタク貴族主義の考え方です。 

 

オタクな趣味を持っていると、どうしても世間の目を気にしてしまったりしがちだが、この世代の人たちはそんなのはおかまいなし、といった感じ。むしろ、オタクとしてストイックにその道を究めようとしている。どちらかというと、「マニア」と言ったほうがしっくりくる。

 

第二世代のオタクエリート主義は、一般人に対して思いっきり強気な態度に出る。

 

「俺はがんばって勉強して賢くなったから、この作品が理解できる。おまえたちがこの作品を理解できないのは、おまえたちが賢くないからだ、ダメだからだ!」 

 

貴族主義たちは、もともと一般人とは明らかに生きている領域が違うのだから、「すごさ」を誇示したところで意味がないと考えている。一方、エリート主義たちはいかに一般人に「俺たちすごいだろう」と見せ付けるかが重要だ、と考えている。

 

「このすごさは、がんばれば一般の人にもわかるはず」とエリートは思ってしまう。

私たち第一世代のオタク、貴族オタクが「一般の人たちにはわからないよ。だって俺たち貴族だからわかるんであって、一般はオタクじゃないからね」ってすごい冷たい意識を持つのとは逆に、彼らはもっと熱い。 

 

 そして、問題の第三世代。主に平成に入ってからのオタクが含まれる。だいたい今、20代後半のオタクたち。この世代のオタクたちにとって、オタクであることはアイデンティティーの問題であるという。

 

「こんな生き方を選んじゃった『わたし』は、これでいいんだろうか?『いい』とみんな言ってよ」という、徹底したアイデンティティーの問題です。 

 

第一世代のオタクにとって、オタクであることの中心には、大好きなSFやアニメ、漫画があった。第二世代も、中心には興味関心の対象があった。しかし、第三世代の中心にあるのは、SFやアニメなどの好物ではなく、「それに反応している自分」であるという。自分の気持ちをもっとも重要視するのがオタク第三世代の特徴なのだ。

 

岡田さんが言う「オタクが死んだ」というのは、かつてオタクたちが共有していた共通文化がなくなってしまったという意味で言っている。第一世代、第二世代には一般の人との壁があった。明らかに「オタクと一般人」は別の生き物である、という意識があった。

 

しかし、第三世代にはその一般との壁がなくなってしまった。壁の内側で、オタクの道を究めることなどには関心はなく、ただ「このアニメを見て、楽しくなっている自分」が実感できればよい、という意識になっている。

 

第一世代、第二世代が持っていたオタクとしてのプライドがなくなり、オタクであることは「個人の問題」になった。そういう意味で、かつての「オタクは死んでしまった」と岡田さんは言いたいのだ。

 

「オタクは死んだ」と岡田さんは言うが、決して「生き返らそう!」とか「かつてのオタクを取り戻そう」などとは言わない。あくまで、時代が変わってしまったのだから仕方のないことだ、と冷静に受け止めている。

 

「オタクは死んだ」と認められないと、いつまでも「今のオタクはけしからん。昔のようなオタクに戻れ」という、意味のない言動を繰り返すだけになってしまいます。

同じく、「日本は死んだ」と、少なくとも「昭和は死んだ」と認めた方が楽ではないでしょうか?いつまでも「最近の若者はケシカラン」「早く大人になれ」「品格や見識を持て」などと文句を言っても仕方ありません。

そのような「品格」「見識」を持つべきだという価値観、すなわち「かつての日本人」や「昭和という時代」そのものが死んでしまったのです。 

 

このオタク世代論に限らず、いろいろな分野で「昔はこうだった」「前はもっと良かった」「本来はこうあるべきなのに、今は・・・」と、現状に対して文句を言うセリフをよく耳にする。

 

「今の若者は・・・」なんてセリフがその代表だろう。あたかも「昔の若者」の方が優れていたかのような言い方であるが、そもそも「理想の若者像」なんてものが存在するのだろうか。

 

若者に限らず、人々の行動様式や価値観は時代によって移り変わるものであるし、そこに優劣をつけるものではないと思う。少なくとも、「昔の方が良かった、今はダメだ」と否定することにあまり意味はないはずだ。

 

「昔とは違うかもしれないが、今はこういう時代である」ということをいったん認めないと話は進まないと思う。現状を認めたうえで、問題点があるなら改善・修正していけばいいだけの話だ。これは最近、ずっと話している自己否定と自己肯定の話と同じだ。(自己否定なんか今すぐやめた方がいい、とりあえず現状を肯定してみることからすべては始まる

 

最後は本の主旨とは少し違う話になったが、全体的にこの本はわかりやすく、とてもおもしかった。僕自身はオタクだという自覚はないが、現代の若者が「自分の気持ち至上主義」であるという点では他人事ではない感じがしたので、興味深い内容だった。

 

オタクはすでに死んでいる (新潮新書)

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