生きづらいふ

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周囲からチヤホヤされるとき、僕はコミュ障でなくなる

基本的にコミュ障な僕だが、そんな僕でもコミュ障ではなくなる場面がある。

 

僕がコミュ障ではなくなり比較的人と話せるようになるには、ある条件が必要になる。

 

それは、「周囲からチヤホヤされること」だ。

 

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僕は高校時代、所属していた部活の部長を務めていた。この高校での部長時代。この時期が、もっとも僕の人生のなかで生き生きとしていた時代といっても良い気がする。

 

僕は器械体操部に所属していた。内村航平で有名なあの体操だ。意外に思われるかもしれないが、僕には小学校6年間と高校での3年間と、実に9年間の体操経験がある。(高校卒業後はさっぱりやってないので、すでに過去の栄光となっている)

 

高校の体操部では、僕の同学年の部員にはほとんど体操経験者はおらず、ほぼみんなが初心者だった。必然的に僕は、学年のなかでもっとも体操ができるやつとして認知され、部員やクラスメイトからもてはやされた。

 

「僕がみんなよりできるもの」それが体操だった。正直、体操競技者としては別にすごくなかった。「ちょっと体操やってました」とは言えても、決して自慢できるほどの実力はなかった。

 

しかし、「みんなにはできないことができる」というのは、僕の自信に繋がった。そして高校2年になると、僕は部長に任命された。

 

同学年で一番の実力を持ち、「部長」という地位が与えられた僕にコワイものはなかった。部活をしているときの僕は、つねに生き生きと練習に励んでいた。

 

幸い、後輩たちにも慕われる先輩となった僕は、ますます自分に自信をつけた。「実力」と「地位」と「人望」。部活をしていたときの僕はすべてを手にしていた。コミュ障になりうる要素がなかった。

 

だが、社交的だったかと言われればそこまででもないし、穏やかな性格であったことは今と変わらない。しかし部活時代が、今までの僕の人生のなかでもっとも「生き生きと」していたことは明らかだ。

 

正直、あのときの自分のことは好きだ。いつまでも過去の栄光にすがっているようでかっこ悪いが、あのときの僕は結構いいやつだった。

 

今のように、THE・コミュ障な僕は高校時代は存在しなかった。コミュニケーションが得意ではないことは確かだったが、自尊心に関しては雲泥の差があった。

 

部活中の僕は自信に満ちていた。しかし、ひとたび教室に入るとすでにコミュ障な部分が顔を覗かせていた。教室内での僕は、「実力」も「地位」も「人望」もなかった。あまり友達と気軽に会話をすることができず、いつまで経っても緊張しっぱなしだった。

 

同じ高校時代なのに、教室と部活では僕は別人のようだった。あきらかに自尊心が一定ではなかった。それを証明するかのように、部活を引退した僕はどんどんどんどん自尊心を奪われ、コミュ障への道を突き進んだ。

 

このことから分かるように、僕が自尊心を保つには「周りから尊敬され、必要とされること」が必要となる。周りの人々からチヤホヤされるような環境に置かれたとき、僕はコミュ障でなくなるのだ。

 

なんとも子どもじみた特性だ。精神が未熟なのだろう。しかし、否定できない事実だ。僕はまわりの人からもてはやされれば自信がもてるし、関心を示されなければコミュ障になる。わがままな赤ん坊と同じなのだ。

 

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