読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

生きづらいふ

人生をクリアに、シンプルに、さわやかに。

自分の欲求が分からなくなるくらいなら、もっとわがままになれ

生き方

今、とある本を読んでいる。自己啓発系というか現状脱出を目指す系の本なんだけど、その本のなかで「自分の欲望を大切にしよう」という話があった。

 

その部分を読んで思った。僕は自分がなにを望んでいるのか、自分がなにを欲しているのかよく分かっていないなって。

 

f:id:enpitsu_megane:20141218232519j:plain

 

たとえば、外食に行くときなどで、「なに食べたい?」と聞かれたとき。とっさに食べたいものが浮かんでこない。ほんとに出てこない。で、「いや、なんでもいいかな」って答える。遠慮しているとかではなくて、ほんとになんでもいいと思ってしまう。

 

こんな感じで自分がなにを望んでいるか、なにを欲しているかがとっさに出てこない。どこに行きたいのか、なにが欲しいのか、なにを食べたいのか、誰と会いたいのか、なにをしたいのか。自分の欲求がベールに包まれてしまっていて、自分でも見えなくなってしまっているようだ。

 

僕が自分の欲求を覆い隠すようになった瞬間のことを今でも覚えている。あれは、小学校低学年くらいのころだったと思う。家族と数名の親戚と一緒にでかけたときのことだ。

 

僕たちは、昼食をとるために飲食店へ入った。そこで各々の食べたいものを注文するのだが、そこでなぜか僕は、はじめて遠慮することを覚えたのだ。

 

なぜこのときそう思ったのか分からないが、「自分が食べたいものより、ここは安いものを頼まなくちゃいけない」と思った。遠慮しなくちゃ、という使命感に駆られた。その日を境に、僕はあらゆる場面で自分の希望や欲求を押し殺し、遠慮するようになった。

 

たぶん、これをきっかけに僕はいろんな自分の欲求を覆い隠すようになったのだと思う。それが今まで継続してしまっている。最初は遠慮から始まり、ついには自分でも自分の欲求が分からないまでになってしまった。

 

このことを自覚してからは、なるべく自分の欲求を主張するように意識している。とくに外食のとき。「なに食べたい?」と聞かれたら、とりあえずでもいいから何か具体的な答えを返すようにしている。

 

今、読んでいる本にも自分の欲求を明確にすることの大切さが述べられている。やはり、自分がなにをしたいのか、なにを望んでいるのか、をはっきり自覚することは大切みたいだ。謙虚になる必要はない。望むことを遠慮しなくていい。どんどんわがままになっていいのだと気づいた。

 

自分の欲求を見失っている状態は、あまりいい状態ではない。多くの場合、ほんとうは持っているはずの欲求をどこかに抑圧してしまっているからだ。自分の気持ちを抑圧することほど無意味なものはない。

 

もっと自分の気持ちや欲求に忠実になっていい。もっとわがままになっていい。

© 2014 enpitsu