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生きづらいふ

人生をクリアに、シンプルに、さわやかに。

僕が生きづらさを感じるようになったのは、冷めきった家族が原因なのかもしれない

このブログのメインテーマである「生きづらさ」は、親の愛情と密接な関係を持つ。


子どもは誰でも、親からの暖かい愛情を求めている。その望みどおりに、健全な愛情を注がれて育った子どもは、健全に発達していく。


しかし、親の愛情を受けそびれてしまうと、子どもの発達は阻害されてしまう。とくに、心に空虚感や漠然とした不安を抱えたりするようになる。


僕は、このブログでさんざん、生きづらい…と語ってきた。僕はかれこれ4年近く生きづらさに悩み、そこから脱出しようともがいている。


つまり、僕も親からの愛情を受けそびれた可能性がある。満足に親の愛情を受け取ることができなかったのかもしれないのだ。


親の愛情を受け取れないとは、具体的にどんな状態を言うのか。たとえば、親による身体的・精神的な虐待、理不尽な扱い、ひどい躾など、が挙げられる。


僕の場合は、分かりやすい虐待や明らかにひどい躾を受けたりはしなかった。父親の酒癖がひどいわけでもなく、見るからに荒れた家庭、というわけでもなかった。


だけど、健全な家庭か、と言えばはっきりとそうは言えない。僕の家族には、ちょっとおかしな点がある。そこが、僕の生きづらさにつながっているのかもしれない。


僕の家族のおかしな点。それは、両親の不仲だ。僕が7歳前後のころから、突然、母が一方的に父を拒絶しはじめたのだ。


当時僕には、母が父を嫌いだした理由がまったく分からなかった。ただ、気づいたときには僕も弟も、母と一緒になって父を嫌い、遠ざけるようになっていた。


それ以降、僕の家族からは温もりというものが消えた。一家団らんや、暖かい家庭、などというものとは無縁になってしまった。


父と母はケンカをしているわけではなかった。ただただ母が父を敬遠し、拒絶していたのだ。しかも父本人に、面と向かって攻撃をしかけるわけではなく、裏で愚痴をこぼすばかりなのだ。


夜、母と僕たち息子3人が居間でテレビを見ている。そして、父が帰ってくる音がする。すると、僕たち4人は、「やべ、帰ってきた」と言い、ざわざわとし始める。


そして、父が部屋に入ってきても、全員無視。「ただいま」「おかえり」などという文化はとうの昔に消え去っているから、なんの会話もない。


しかし、父は父で無神経で図太い人間なので、僕たちが父を拒絶していることを自覚していない。普通に話しかけてくる。しかし、僕たちは「ああ」とか「うん」しか言わない。ちょうど反抗期の息子のように。


僕の家族では、もう長いこと家族全員で食事をしていない。父は毎日、自室で食事をするからだ。母も僕たち息子と一緒に食事をしない。いつどこで食事をしているのかも分からない。


まだまだ僕の家族のおかしな点はたくさんある。しかし、これだけでも十分、この家族が健全な家族としての機能を失っていると判断できる。


この冷めきった家庭環境が、僕の生きづらさを生み出したのだろうか。この環境で育ったせいで、僕は両親の愛情を受け取れなかったのだろうか。


生きづらさを解消し、克服していく上で、親との関係を見つめ直すことはとても重要だ。


いままで、家族のことを真剣に考えることはあまりなかった。あまりにも昔から続いている状態なので、もうどうにもならない、という無力感を感じていたのだと思う。


しかし、どうせならこのブログを通して、家族のことを思い出し、自分の心の整理に繋げようと思う。


今後、少しずつ家族のことを語っていきたい。そうすることで、生きづらさの克服に一歩でも近づける、と願っている。


不幸にする親 人生を奪われる子供 (講談社+α文庫)

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