生きづらいふ

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なにをするにしてもお金がかかる東京は、ミニマリスト的な生き方には不向き

とある本を読むと、僕が暮らしている日本、とくに東京という街が、いかにお金がかかる場所か分かる。


吉村葉子さんの『お金がなくても平気なフランス人 お金があっても不安な日本人』に、興味深いことが書かれていた。


東京にいる留学生のだれもがこう思う。この国には買いたい衝動をおこさせるモノがあふれていると。


パリから東京にやってきた留学生が、著者の吉村さんにこう語った。


「東京はものすごくエキサイティングだけど、ストレスがたまる町だと思う。なにもかもが、人間の頭脳を刺激する仕組みになっているみたい。」


この留学生にとって、東京という町は、誘惑の多い刺激的な町であるという。続けてこう語る。


「買いたいモノが多すぎて、自分が貧乏のような気がする。物価は思ったほど高くないけど、買いたくなるような魅力的なモノが多すぎるのよ。」


一見、東京を褒めているセリフのようにも感じられるが、きっとこの留学生は東京というエキサイティングな町にうんざりしているのだろう。


魅力的なモノに囲まれ、物欲を刺激され続ける町、東京。ここまで誘惑の多い町は世界のなかでも東京くらいだそうだ。


パリのオペラ座界隈やロンドンのピカデリー・サービスにも、ニューヨークのソーホーにも、東京ほどモノ、それも購買欲をそそる魅力的な商品が、ここまであふれかえってはいない。


東京は魅力的なモノにあふれたエキサイティングな町。ということは、この町では、それだけお金を持っていないとなにもできないのだ。


東京は世界一エキサイティングな町になった。ただし、目の前にあるモノを買うにも、二四時間いつでも食べられるファミレスに入るにも、必ずお金がいる。ありあまるお金を持ってない限り、東京は欲しいモノがあるのに買えないという欠乏感にさいなまれる町なのである。


日本という経済大国の中心、東京。そこは、お金が目まぐるしく動くように仕組まれた、エキサイティングな町なのだ。


哲学者のヘーゲルが、市民社会は欲求の体系だと言った。現代社会は、人びとの利己的な欲求がうずまく場所なのだ。


そういう意味では、東京という町はまさにヘーゲルの言った欲求の体系である。人びとの利己的な欲求を満たす環境が整っている。


僕はずいぶん長いこと東京で暮らしている。たしかに、移動するにも買い物をするにも、遊ぶにも、休むにも、なにをするにしてもお金がかかる。とても窮屈な思いをすることがある。


僕はひそかにミニマリスト的な生き方に憧れている。なるべく出費を減らし、お金がなくても豊かな生活を実現したいと思っている。


しかし、東京で暮らしていると、なかなか難しいのかな、と思う。とにかくお金がかかる。東京を出て、地方都市などに行ったほうが、ミニマムな暮らしができるんじゃないかと思う。


冒頭で挙げた本、『お金がなくても平気なフランス人 お金があっても不安な日本人』を読んで、いかに僕がお金のかかる生活をしているかが分かった。


反対に、お金をかけなくても幸せで豊かな生活を送ることはできると、希望を持たせてくれた。ミニマリスト的な生き方の参考にもなりそうな本だった。


お金がなくても平気なフランス人 お金があっても不安な日本人 (講談社文庫)

お金がなくても平気なフランス人 お金があっても不安な日本人 (講談社文庫)