生きづらいふ

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病んでたクズが自己嫌悪をやめたら、ただの能天気なクズになった

僕は、数ヶ月前まで、病んだり病まなかったりを繰り返していました。自分の性格にげんなりして、自己嫌悪しまくって、落ち込むことが頻繁にありました。


だけど、ここ数ヶ月前はとても調子が良くて元気です。一人暮らしが快適すぎて、あまりストレスを感じることもありません。のんびりと日々を過ごしていて、自己嫌悪することもなくなりました。


自己嫌悪しなくなったのは、自分を受け入れることに慣れてきたからだと思います。去年の秋くらいから、意識的に自分のことを受け入れるようにしていました。


自己嫌悪しそうになったら、「いや、これでいいんだ。これが自分なんだから」と言い聞かせて、ありのままの自分を一旦受け入れるようにしました。それが癖付いてきたころ、自然と自己嫌悪することも少なくなりました。


あと、人と会う機会が増えたことも関係しているように思います。去年の暮れから、初対面の人と会う機会が増えました。それまではほんとに人と会うことを避けていましたが、場数を踏むことによってだんだんと慣れていきました。


人と会うことに慣れることで、自分にも自信が持ててきました。自信っていうのは、もしかしたら人と接することで得られるのかもしれません。


そんなこんなで、今年に入ってから僕の心はとても元気です。生きづらさもだいぶ薄れてきています。


しかし、ここでひとつ問題点が出てきました。


頻繁に自己嫌悪していたころの僕は、「病んでたクズ」でした。そして、自己嫌悪から解放され、元気になった今の僕は、「ただの能天気なクズ」に変わりました。


自己嫌悪しなくなって、元気になったことはかなりの進歩です。でも、いまだにクズであることは変わりません。むしろ、病んでて悩んでたころのほうがよかったんじゃないかとさえ思います。


とくに悩みごとがないことはすばらしいことですが、クズを脱却しないことには意味がない。今の僕は、ほけーっとして能天気なクズになってしまっていて、これはちょっとマズイんじゃないかと思うわけです。


今の僕にはやることがたくさんあります。就活に、バイトに、卒論。どれも全然やれていない状態です。そして、1番マズイのは、やるべきことをやっていない自分に危機感を感じていないこと。


危機感感じてたら、とっくに行動してるはずです。危機感がないからこそ、ダラダラしているんだと思います。大学受験のときも同じ状態でした。塾に通わずに自力で勉強することを選んだにもかかわらず、全然勉強しませんでした。いつにたったら本気になるんだろうと思っていましたが、最後まで本気になることはありませんでした。


僕はきっと今までの人生で、「結局は、なんとかなる」ということを学んでしまったんだと思います。過保護、ぬるま湯な環境で育ってきてしまったので、「ガチで努力しなくても、なんとかなるだろ」と心のなかで思ってしまっているんです、きっと。


だから、いつまで経っても本気になれず、なんとなく生きているわけです。学生までは、そんな生き方でも通用しました。実際、なんとかなる世界でした。でも、これからはそうはいかないはずです。社会はクズには甘くないでしょうから。


なので、せっかく心が元気になったのだから、今度はクズを治すことに注力していくべきなんだろうと思っています。ここまで自分のクズっぷりを書いてきて、ちょっと自分のクズさにげんなりしました。マズイです、このままじゃ。


今まで、批判を恐れて自分のクズっぷりをブログに書くことを控えていました。が、これからはなるべく正直に書いていこうと思います。文章にすることで自分のクズっぷりを客観的に見れて、「これじゃやばいだろ」と危機感感じられると思うので。


とりあえず今は、とくに悩んでなくて能天気クズな自分がコワイです。


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