生きづらいふ

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自己嫌悪による生きづらさから、自己愛によるクズへ

人と会う機会が増えたからなのか、一人暮らしを経験したからなのか、なんなのかよく分からないが、最近生きづらさをあまり感じなくなってきた。しかし逆に、今度は自己愛が強くなってきてどんどんクズになっていっている気がする。

 

僕が高校3年生のころから感じてきた生きづらさとは、一言でいえば「自己嫌悪」が原因だった。とにかく自分のことが嫌いで、1日中、自分を卑下し、強い自己否定感に包まれていた。

 

「自分なんかダメ人間だ」「人としゃべれないし…」「バイトもできないし…」

 

そんな言葉が頭のなかでぐるぐる回り、ノイローゼになっていた。早くこんな自分から抜け出したい。自分を変えたい。そんなことばっかり考えていた。どれだけネットで、「性格 変える」「自己肯定感 高める」「自己嫌悪 脱出」というワードで検索したことか。

 

大学1年の夏、あまりにつらくて大学にある学生相談室に相談しに行ったこともあった。9月から通い始めて、翌年1月まで2週に1度(だったかな)相談に行っていた。そこでは具体的な解決法は教えてもらえず、ただゆっくり話を聴いてもらえるだけだったが、それでもだいぶ楽になった。

 

それでも、「自己嫌悪」を感じる日々は続いた。ただ、だいぶ波があった。もうどうしようもなくしんどい時もあれば、ウソみたいに元気なときもあった。それから彼女ができて、だんだんと心が安定してきた。

 

そして、去年からこのブログをはじめて。人と会うようになって。一人暮らしを経験して。いろんなアクションを起こすようになって、だいぶいろんな変化が起きてきた。今では、あんまり生きづらさを感じなくなった。自己嫌悪もしなくなった。あんなに自分が嫌いだったのに、今では自分を肯定できている。

 

これで見事、生きづらさ卒業!万歳!…と言いたかったのだが。

 

自己嫌悪による生きづらさを解消できたと思ったら、今度は「自己愛」によるクズに転身してしまっている気がする。

 

自己嫌悪ループから抜け出し、自分を肯定できるようになった僕は、むしろ自分のことが大好きになってしまったみたい。誇大な自己愛っていうやつなのか、「自分は間違ってない」「自分は人とは違う」「自分はなにも悪くない」みたいに思う瞬間がある。中二病的な。

 

誇大な自己愛は、生きづらさを感じていたときから自覚していた。アダルトチルドレンや自己愛性パーソナリティ障害を疑っていたくらいだから、自分の自己愛が強すぎるっていうことは分かっていた。

 

自己嫌悪をしまくっていたころは、そんな自分の自己愛をなんとしても沈めなくては、と思っていた。けど今は、自己嫌悪感が弱くなって、心のどこかで自己愛を肯定する自分が出てきてしまっている。「別にいいんじゃないの?自分のこと大好きでもさ」という自分と、「いやいや、こんな上から目線の人間になんてなりたくないよ」という自分とがせめぎあっている。

 

人に無関心で、心のなかで人を見下し、自分のほうがすごいと思っている。そんなクズ人間になっていっている気がする。そしてなによりもイヤなのが、ここが父親とそっくりだということ。小さいころからさんざん母が人格否定してきた父親と。僕も母に倣って嫌ってきたあの父親と。

 

どうしても似たくなかったところだったのに。父親そっくりのナルシストになってしまっている。似ないように気をつけていたつもりだったのに。いったいどうすりゃいいいんだ。

 

機能不全家族で育った僕のパーソナリティに関する苦悩はまだまだ続くみたいだ。

 

自己愛な人たち (講談社現代新書)

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