人間ほど言葉をうまく操る生き物はいない。人間はこの世のあらゆる存在に名前を付け、分類している。目に見えるものは当然だが、目に見えないモノゴトにすら名前が付いている。
あれは雲だ。
あれは車だ。
あそこにあるのは木だ。
看板が見える。
太陽が照っている。
言葉があることで、こうやって雲・車・木・看板・太陽を区別して、理解できている。人間は言葉によって世界を捉えている、といっても過言ではないかもしれない。言葉によってあらゆるものを分類し、理解する。そうやって人間はこの世界を知り、生きている。
もし言葉がなければ、人間にとって世界はもっと混沌としたモノになっていたんじゃないか。あらゆるモノに名前を与えることで、混沌とした世界をひとつひとつ分類・整理しているからだ。
それはちょうど部屋にモノが散乱している状態と同じだ。本や服、ノート、ペン、カバン、時計、ゴミが床に散乱している。それを人間の高度な知能を使って、分類し、整理する。ペラペラとめくり文字を読む本は本棚へ。着るものはハンガーラックへ。書くための道具は筆箱のなかへ...。
そのモノの特徴や、用途などを基準に、モノゴトを分類する。それが言葉の役割。
言葉といえば、人とコミュニケーションをとるための道具というイメージが先行するかもしれないが、それ以前に言葉は、人間が世界を分かりやすく捉えるための道具なんだ。
そう考えると、言葉はとても便利で、なくてはならない存在だ。
でも、もし言葉がなかったら?言葉によってモノゴトを分類しなかったら、世界はどんな風に見える?ちょっと考えてみたくなる。想像してみたくなる。
きっと、いままで頭で世界を受け止め、理解していたのが、言葉がなくなると、身体全体で世界を感じるようになるんじゃないか。思考で理解した世界から、身体で感じた世界、に変わるんじゃないか。
そう考えると、なんかすこしわくわくするね。解放された気分になるね。