生きづらいふ

人生をクリアに、シンプルに、さわやかに。

見捨てられ不安が強いから、「働きたくない」は禁句

「働きたくない」

 

これだけは、実際に口に出すことができない。文字にするのも、すこし勇気がいるくらいだ。働きたくない、なんて情けないことを言ってしまえば、人々に見下され、「ダメ人間」認定されてしまう気がするからだ。(ダメ人間だと自称してるくせに、他人から言われるのはこわい)

 

人がこわいとか、社会がこわいとか、そんなことは口に出すことができる。人に相談することもできるかもしれない。けど、働きたくない、働くのがこわい。これだけは、人に相談できない。なぜかはよく分からないけど、これを言ってしまったら、すべての人が愛想を尽かし、背を向けてどこかへ行ってしまいそうな気がする。

 

たぶん、働きたくないという言葉は、究極の「甘え」だからじゃないか。甘え以外のなにものでもないから、そんなこと言えば怒られてしまうのではないか、呆れられてしまうのではないか。そんな風に思うから、「働きたくない」は僕にとって禁句なのかもしれない。

 

 

人がこわいとか言っておきながら、見捨てられ不安が強い。見捨てられてしまうんじゃないか、という不安があるからこそ、はじめから深く人と付き合わないのだ。一度、深く付き合った相手に対しては、みっともないくらいにすがってしまう。頼むから見捨てないでくれ、と醜くすがりつく。

 

こんなにもみっともない男がほかにいるだろうか。現実には僕よりどうしようもない人はたくさんいるんだろうけど、僕自身の感覚としては自分ほど情けなく、みっともない男はいないと感じている。しかしこんな風に思うのも、おそらく誰かに指摘されるまえに、自分で自分を戒めているだけにすぎない。人に言われるのがこわいから、先に自分で気づいて自分で自分を責めているだけだ。どこまでも卑怯なやつだ。

 

見捨てられたくない、という強い欲求があるから、「見捨てられたかもしれない」と感じたときには、こっちから心を閉ざしてしまう。それがたとえ、ただの思い過ごしだったとしてもだ。本当は違うのに、勝手に被害妄想的に「見捨てられた」と勘違いしてしまい、心を閉ざしてしまう。

 

そうすると、自ずと相手との関係はギクシャクしはじめる。そして、本当に相手との関係が終わってしまったりする。まさにそういった経緯で、僕は高校時代の友達たちと距離を置いている。ときたま連絡をもらうのだけど、僕はすべて無視をしている。過去の友達たちは全員、僕を「クズ」だと思っているという被害妄想があるせいだ。

 

実際にはそんなことはないと分かっている。けど、こわい。せっかく連絡をしてくれているのだし、僕だって久しぶりに話したいという気持ちもある。いつか「今まで無視をしていて悪かった」と言って、食事に連れていきたいとも思っている。だけど、「見捨てられたかもしれない」という被害妄想は強烈すぎる。

 

...天気が悪いせいか、今日は自暴自棄になっている。自分に腹が立つし、悔しいし、殴ってやりたくなる。叫んでやりたくなる。引きこもっているとロクなことがない。

 

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