生きづらいふ

人生をクリアに、シンプルに、さわやかに。

家族とおなじ部屋にいると落ち着かない

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自分の家であっても、いつも肩肘をはって生活している。親や兄弟と同じ空間にいるだけでも、視線が気になってしまい、どこか落ち着かない。たまたま家のなかに誰もいない瞬間が訪れると、すーっと肩が軽くなる。

 

べつに家族とケンカをしているわけでもないし、仲が悪いわけでもない。ただ昔から、みんな口数が少なくて、あまり会話をしない家族だった。無言のまま、お互いに神経をとがらせ、顔色を窺い合って生活してきた。けっこうしんどい。

 

パーソナルスペースというやつにみんな神経を使っているんだと思う。目には見えない自分の縄張りのようなもの。自分の半径1~2mくらいのところは自分の精神的な縄張りになっていて、そこに誰かが立ち入ると警戒態勢に入る。侵入者がたとえ家族であったとしても。

 

数年前から、食事は全員タイミングをずらして、一人ひとり順番に食べるようになったし、全員がリビングにいたとしても、なるべく近くによらないように、自分のポジションを確保し、お互い近づきすぎないように配慮しあっている。

 

誰かの機嫌が悪いときには、誰も一言もしゃべらないけど、調子がいいときにはテレビを見ながら談笑したりもする。僕と次男はともにプロ野球ファンなので、一緒にテレビで野球観戦したりもする。だから、別に険悪な雰囲気の家族、というわけでもないのだ。ただ、お互いに縄張り意識が強すぎるだけなのだ。

 

 

このお互いに干渉しすぎない関係はけっこう気に入っているのだけど、あまりに縄張り意識が強すぎて、息が詰まってしまうときがある。同じ空間に誰かがいるだけで、肩に力が入ってしまって、ストレスが溜まる。それがしんどい。今年の冬に2ヶ月間だけ、一人暮らしをしたときは、それはそれは爽快だった。

 

そのときはじめて、いかにいままで自分が家族の目線を意識して疲れていたかを知った。縄張りを侵されないように必死だったかに気づいた。安心していられる居場所であるはずの家族という空間が、僕にとって安心できない居場所である、ということを悟った。

 

きっとこの家族には圧倒的にコミュニケーションが足らないのだ。会話をしないから、お互いのことをよく知らないままでいる。だから、家族であっても「こいつは自分の味方なのか、敵なのか」がはっきりせず、いつも顔色を窺うはめになるのだ。この家族のなかに無数に存在する「壁」を取り除くのは、"コミュニケーション"しかないのだと思う。

 

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