生きづらいふ

人生をクリアに、シンプルに、さわやかに。

生きづらさを克服できたのかな

以前感じていたような生きづらさを感じなくなった。自己嫌悪しなくなって、鬱っぽさもなくなった。悩む時間が減って、思考が前向きになった。自分にできることと、できないことを把握するようになった。人と自分を比べることの無意味さに気づいた。

 

まさか自分がこんな状態になれるとは思わなかった。「変わりたい変わりたい」と思い続けていたけど、ほんとに変われるなんて。実際にはあまり「変われた」という感覚はなくて、「抜け出した」という感覚だ。別人になったのではなく、自分のなかに眠っていた「元気な自分」に再会したような感じ。

 

なにがきっかけで抜け出したのか、はっきりとはわからない。でもたぶん、体調に気を配るようにしたのがよかったんだと思う。質のいい睡眠をとること、朝食をしっかりとること。この2つを意識したのが功を奏したのかな、と思っている。あとは趣味に集中すること。「ほんとはこんなことしてる場合じゃないのに...」「こんなことしてないではやく就職しなきゃ...」とかそういう自分へのプレッシャーを一切やめて、趣味を楽しむことに集中したら、気分が上がってきて思考が前向きになった。

 

生きづらさを感じて、思考がネガティブになったり、やる気がでなかったり、自己嫌悪ばかりするときの自分をあまり信じないほうがいいのかなと気づいた。そうなってしまっているときは、自分の「性格」が大嫌いになっているんだけど、それはたぶん「性格」じゃない。ただそういう「状態」に一時的になってしまっているだけなんだと思う。ざっくり例えるなら、「風邪」を引いているときの自分を、「僕はなんでこんな弱い人間なんだ。人より咳が出るし、喉も痛い。ダメ人間だ...」と責めているような。悪いのは自分じゃなくて、その「状態」だから、ゆっくり休んで回復することに集中したほうがいい。

 

生きづらさを感じてるときって、なんとか自分を変えようとしたり、努力したりしようとするんだけど、それはさっきの例えでいうと風邪を引いてるのにみんなと同じように頑張ろうとしているようなものなので、そんなことしてもより悪化させるだけだ。だからさっさと休んで体調を整えつつ、自分が日常を楽しめるように工夫したほうが結果的に早道になる。急がば回れ、ってやつだ。

 

僕の場合は、4月からニートになってずっと家にいて、ゆっくり休める環境が整っていた。衣食住がそれなりにそろっていて、安心して休むことができた。それに僕にはたくさん趣味があった。野球とかお笑いとかいろいろ飽きない趣味があったのが幸いだった。そういう意味では僕はとても恵まれていたからこそ、こうして元気になることができたんだと思う。親に感謝しなくてはいけない。

 

とはいっても、まだいろいろ悩むことはある。仕事ははじめたけど、いつかは正社員を目指すのか、とか。結婚、とか。もっと先のことを考えはじめたらいろいろ不安になる。親のこと、兄弟のこと、など、家族の問題もある。人生はむずかしい。ゆっくりやっていくしかない。たぶんなんとかなる。

 

このブログのこともどうしようか考えている。少なくとも「生きづらいふ」という名前は辞めたいと思っている。このブログの更新をやめて、新しいブログをはじめるか、しばらくブログ自体やめるか。いろいろ考えているけど、いまいち結論が出ない。このブログ辞めたら、ダンゴムシの会はどうするのか、っていうのも出てくるので悩みどころだ。ダンゴムシダンゴムシでいろいろ考えていることがあるし、ダンゴムシとはまた別に新しいことをやりたいなともぼんやり考えている。

 

そんな感じで、最近はいい感じに人生の難儀さと向き合いながら前進している。