生きづらいふ

人生をクリアに、シンプルに、さわやかに。

今でもふとした瞬間に自分のことが嫌いになる

おかげさまで基本的に元気よく生きているのだけど、週に1回くらい落ち込む時間がある。仕事しているときは自分のことを考えてる時間がないので、自分の性格がどうとか考えなくてすむのだけど、休日にふと「やっぱりダメ人間だああああ」と落ち込んだりする。

 

どうしたらいい人間になれるのだろうか、と毎日考えている。そもそもどういう人間がいい人間なんだろうというところからはじまって、身のまわりの人を観察したりしている。こういうことができるから仕事ができるんだ、とか、こういう人が愛されるのか、とか、こういう人は結婚できるのか、とか。

 

人と比べて落ち込むということは、ほとんどしなくなったのだけど、ふと自分のダメさが嫌になって落ち込む。落ち込んだときはたいてい低気圧のせいってことにしてあまり気にしないようにしているのだけど、問題を先送りしているだけな気もする。

 

人間は変われるけど、そうすぐには変わらないし、変わるだけの根拠や理由があって変わるのでなかなか簡単ではない。だからいまつらくても、自分がいい人間になれるように地道にやっていって、あとは時の流れに身をまかせるしかないと思っている。じたばたしてもしょうがないので、半分あきらめながらやっていくのがちょうどよいかな、と。

 

あとは、やっぱり自意識が過剰すぎるのがいけないんだろうなあ、と。自意識を断捨離したい。毎週水曜日とかにビニールにつめてゴミに出したい。そしたらだいぶ健全な人間になれる気がする。どっかの業者に自意識回収やってほしい。

 

そういえば、いつも土日のこの時間帯に落ち込みやすい気がする。(日曜の18時ごろに書いています。)曇っていて、日が暮れはじめたときに病んでいることが多い。サザエさん症候群的なことなのかもしれないけど、たぶん天気とか気圧のせいなんじゃないかなあ、と。そうじゃなかったとしても、そういうことにしておけば開き直れるので真偽はわりとどうでもいい。

 

以前とくらべたらだいぶマシな人間になった。けどまだやっぱりダメなんだなああ、と。そう思う時間が週一くらいのペースでありますよ、という話。それ以外はいたって元気。まあ毎日元気なほうがかえっておかしいかもしれない。たまには自分について反省したり、鑑みる時間があるほうが健全なのかも。そう考えたら、落ちこむのも悪いことじゃない気がしてきた。