生きづらいふ

人生をクリアに、シンプルに、さわやかに。

本質から逃げて、表面だけ順調に生きている

べつに旅行というわけではなく、無意味にビジネスホテルに泊まってゆっくりするという休日を過ごしている。昨日の14時にチェックインして、12時にチェックアウトするまでの20時間。ほとんど外に出ず、引きこもっている。

 

近況はというと、おかげさまでそこそこ順調に過ごしている。小さな問題や、誰もが持っているような悩みは抱えているけど、それも含めてごく普通に生きているなあ、と感じている。

 

たまにこのブログの昔の記事を読み返す。すると、僕が生きづらさの渦中にいて、とても苦しんでいる様子が書いてある。それを読んだとき、「そういえば、こんな時期もあったなあ」と思う。そう思うことで、当時といまの自分の違い、みたいなものを実感する。

 

いまだって、基本クズだし、コミュ障で、社会不適合者で、ダメな人間だと思う。けど、当時とはあきらかに心持ちがちがう。いちいち自分を悲観しないし、責めない。そうして立ち止まっていることが無意味だと気付いたからだ。

 

余計なことは考えず、楽しく過ごす。目の前のことをやる。自己嫌悪して、気分が落ち込んで、なにもできなくなるよりは、いったん自分のことは棚に上げて、楽しいことしたほうがいい。徐々に元気が出てきて、いろいろやってみよう、と思えるようになってくる。

 

僕はそうやって徐々に元気になってきたので、そういう方法がいいと思っているのだけど、逆に最近はそのせいであまり自分と真剣に向き合わなくなったような気もしている。なにか悩んだときに、深く考えずに「さ、寝よ寝よ」とか「考えるのはやめよう」と、なんとなくごまかしているからだ。

 

ときには苦しいかもしれないけど、ちゃんと悩んで考えて行動しないといけないこともあると思うんだけど、それから逃げているような気もしている。だから、いつもなんとなくでしか生きていないような。本質から逃げて、表面だけ順調に過ごしているような感じがある。

 

僕は悩み方がヘタなんだと思う。ちょっと僕は自分自身を過信しているところがあって、なにか悩みがでてきたときに、それと向き合おうとすると、「なんで自分はできないんだ」「なんでうまくいかないんだ」「自分はもっとできるはずなのに」と、できるはず(と過信している)の自分を責めるばかり。自分ができるかできないかはべつにどうでもよくて、問題を解決するにはどんな方法を取ればいいか?ということを考えればいいはずなのに。

 

自分のこういう一面を振り返ると、まだまだクズだなあと自覚する。パワプロでいうと、調子を「絶不調」から「好調」にすることはできたけど、まだミートはFだし、パワーも走力もGのまま、という感じ。感情や気分は回復できたけど、人間性自体はたいして変わっていないという。。

 

なんにしても、まずは調子を整えないとなにもできないので、とりあえず調子を上げることができたのはよかったと思う。そのおかげで、なんやかんや仕事もできているし。とりあえずいろいろやってみて、なにか問題が出てきたらそのとき考えればいい。大切な問題が出てきたら、すこしでいいから真剣に向き合ってみる。ほんの10秒でもいいから。