生きづらいふ

人生をクリアに、シンプルに、さわやかに。

しゃべるのがめんどくさい

ちょっと久しぶりに病み気味なので、いろいろ書く。

しゃべるのがめんどくさい

しゃべるのは嫌いじゃない。居心地のいい相手とであれば、話したいと思う。けど、たまにしゃべるのがめんどくさくなるときがある。できればずっと黙っていたいと思うときがある。

 

継続的に人と会話することが苦手みたいで、ひとつの話題を広げて話すことができない。だから、いつもひとつの話題に対して数回のキャッチボールで終わって、またしばらくしたら次の話題へ、みたいな感じ。そもそもキャッチボールする意識がなくて、相手が投げたボールを受け取ってそのまま勝手に終了させたりすることもある。自分にはそんなつもりなくても、結果的にシカトしてしまっていた、みたいなことがよくある。

 

弟とはよく話すのだけど、とてつもなくダラダラ話している。どっちかが話題を振り、もう片方がそれに反応する、以上。みたいなのを何回も繰り返して会話している。そしてつねに会話しているわけではなく、しばらく黙ったあとにまた会話が発生する、みたいな感じ。家族との会話なんてそんなもんかもしれないけど。

 

他人と話すときも、ふいに黙りたくなって勝手にひとりの世界に入ったりする。やさしい人は気を遣って、話を振ってくれたりするので申し訳なくなる。気分次第では、自分の話を一方的にがんがん話したりするくせに、そうやってずっと黙っていたりもするから、とんでもなく自分勝手。

誰にも心を開きたくない

産まれてこの方、誰にも完全には心を開いたことがないんじゃないかと思うくらい、人に心を開かない。心に5重くらいロックをかけていて、3つくらいまでは扉を開けるんだけど、絶対に踏み込ませない最後の1、2個の堅い扉がある。

 

そもそも心を開くっていうのがどういうことかよくわからないし、心を閉ざし過ぎて、どれがほんとの自分かわからなくなってしまった。完全に心を開いている状態の自分がどれなのかわからない。

 

心を開いた自分を想像してみると怖くなる。こんな自分をさらけ出すわけにはいかない、こんなみっともない姿を見せるわけにはいかない、と防御反応が出る。そういうみっともない自分を認めたくないから、頑として心を開かないのかもしれない。

メンヘラはこわいぞ

メンヘラの定義はよくわからないけど、ぼくのなかでは「余裕がなくなって、自分のことしか考えられていない状態」だと思っている。20才くらいのとき、自分もそんな状態だったときがあるし、そういう状態の人から迷惑を被ったこともある。

 

いま身近でそんな状態の人がいて、周りからめちゃくちゃ叩かれている。で、ぼくはそれを反面教師にして気を付けようと思っていたのだけど、こないだ自分自身がそのメンヘラ状態の人と似た言動をしたことに気づいてとても怖くなった。自分も同じように叩かれてしまうのではないか、と。

 

そうやって「嫌われたくない」と思えば思うほど、余裕がなくなってどんどんメンヘラ状態になってしまう。どこかで手遅れになるまえに負のスパイラルから抜け出して、余裕を取り戻せばなんとかなるのだけど、手遅れになるといろいろ詰んでしまう。

なんのためにがんばってんだ

たまに何のためにがんばってるんだろう、と虚しくなる。明確な目標がないなかで、ただがむしゃらにやっていると、何のためにやっているのか分からなくなる。盲目的に目の前にあるやらないといけないことをがんばっているだけ。

 

自分が手に入れたいなにかのためにがんばっている、というよりは、「がんばっている自分」が欲しいからやっている感じがする。社会的なステータスというかなんというか。それで生きやすくなるならまあいいのかもしれないけど、ちょっと虚しさはある。

不安で不安でたまらない

いま仕事が憂うつで。失敗耐性がなく、人から「ちがう」と言われることを怖れすぎていて、自信をもって動けずにいる。けどやらないわけにはいかないから、なんとか奮い立たせてやっている。それまでにものすごい無駄な葛藤の時間があるので、社会人として終わっている。

 

やったことのないことをやっているのだからわからなく当然だし、頭も悪いのだから間違えて当然。だからどんどん人に聞けばいいのに、それを怠っている。いつも自分一人で抱え込んでなんとかしようとする。たいしたことできないのに。仕事に限らずいつもそう。

 

去年も最初はそんな感じで、だんだん自信をもってできるようになってきたのだから、今回もそのうちそうなると信じて、いまは踏ん張るしかない。幸い、周りは優しい先輩しかいない最高の環境なのだからなんとかがんばろう。