生きづらいふ

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完璧主義を克服すれば幸せを感じることができるはず

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僕は今、決して不幸ではない。生活環境は恵まれているし、体だって健常だ。人間関係も数は少ないが、接してくれる人はみな温かい。むしろ、十分すぎるほど幸せな境遇の中で生活している。

 

ただ、はっきりと「今、幸せです!」と胸を張って言い切れないのには、僕の捉え方に問題があるのだと思う。僕の思考は「完璧主義」という精神にかなり支配されている。常にパーフェクトを目指したくなってしまう。まったくマイナスポイントのない完璧な状態になって、はじめて僕は自分自身にOKを下す。

 

しかし、完璧主義のやっかいなところは、どんなに100%の状態に近づいても、それを決して100%だとは認められないところだ。どういうことかというと、どんなに完璧な状態、パーフェクトな状態に見えたとしても、「いや、まだ何かが足りない」と考えてしまうのだ。

 

完璧主義者にとって、ゴール地点である「完璧」な状態がはっきりしていないのだ。だから、永遠と完璧を目指し続けることになる。これは相当むなしい作業だ。

 

完璧主義者の僕は「完璧」な人生を望むあまり現状に満足できないと感じてしまう。もちろん「完璧」な人生などない。というか「完璧」な人生ってなんだ?そのことを自分でわかっていながらも、現状に満足できず、なんだかむなしくなってしまう。

 

自分を客観的に見たとき、僕の生活・人生は十分に恵まれていると思う。つまり今、僕が「完璧」な人生を追い求めることを止め、現状に満足することができれば、僕は「ああ、今幸せだ」と感じることができるはずだ。

 

 じゃあ、完璧主義を脱する方法を考えよう。おそらく完璧主義者は、条件つきでしか自分自身を認めることができない。また、周囲からも条件つきでしか自分自身を認められないと思っている。ただそこにいるだけでは、自分は愛されない・自分は認められない、と思っている。だから自分を認めるため、周囲から認められるために、何事も完璧な状態にしなければならない、と考えるのだろう。

 

では、「手放しでは自分は認められない」という思考を修正することを考えよう。しかし、周囲の人々から自分を認めてもらうのはなかなか難しいだろう。関係の近しい人などなら、比較的簡単かもしれないが、友人や同僚・仕事仲間・初対面の人などに、いきなり手放しで自分を認めてくれと言ったってムリな話だ。

 

ということで、まずやるべきなのは、「自分で自分を認める」ということだと思う。昨日のブログと内容が被ってしまうが、ありのままの自分でよし、とする。今の自分を自分で受け入れてあげる。今の自分は、60点かもしれない、40点かもしれない、もしかたら0点かもしれない。それでもいい。自分で自分を否定することはやめよう。まずは自分が自分の一番の味方になってあげることから、完璧主義を脱することは始まる。

 

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