生きづらいふ

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自分が誰かの役に立っていることを実感できれば、仕事は楽しくなる

昨日、僕は生まれてはじめての引越しバイトをこなしてきた。


とは言っても、たいしたことはやっていなくて、段ボールやイスや、小さな本棚などを運んだだけ。


荷物自体はとても軽かったが、それらの荷物を4階までエレベーターなしで運んだ。階段を駆け上がりながらの作業は、なかなかにしんどかった。


おかげで、今朝からバリバリ筋肉痛になってしまった。かつて体操をやっていたとは思えないほど、僕の身体は貧相になってしまったようだ。


で、今日の本題。


はじめての引越しバイトをやっているとき、僕は意外にも「楽しい」と感じていた。


はじめての作業に緊張もしていたし、ミスをしやしないかと、不安も感じていた。しかし、それ以上にやっていて楽しかった、のだ。


それはなぜか。きっと、引越しという作業が、誰かの役に立っているということをじかに感じられる作業だったからだと思う。


昨日の僕の場合、僕が荷物を運ぶことで、引越しを頼んだお客さん、そして、引越社のお兄さんたちの役に立っていたはずだ。


僕がなにかをやれば、それが確実に誰かの役に立っている。そのことを肌で感じることができる。それがなにより嬉しかったし、楽しかったのだと思う。


こうして直接、誰かの役に立っていることが感じられる仕事って、どのくらいあるんだろうか。


普通に企業などで働いていると、そういった感触を味わえないような気がしてしまう。


サラリーマンをしていると、会社のなかで、見えないお客さんのために仕事をこなし、自分がやった仕事がどれだけ人の役に立ったのか肌で実感できないのではないだろうか。


逆に、自分のやったことが誰かの役に立ったのだ、と肌で感じることができれば、一気に仕事は楽しいものになる気がする。


山田ズーニーさんが『おとなの進路教室。』で、言っていたように、仕事とは、誰かの役に立ち、誰かを歓ばせることなのだ。

仕事は、1円でもいいから、人に対して、「この人にお金を払いたい」と思わせるだけの、役立ちなり、歓びなりを、自ら提供していくことだと思います。 


基本的には、どの仕事もこの定義どおりに、誰かの役に立ち、誰かを歓ばせていると思う。


しかし、それを肌で実感できるかどうかは分からない。大企業などのように、仕事の規模や範囲が大きくなればなるほど、間接的なサービスになる。


そうなると、仕事をしている人は、なかなか自分が誰かの役に立っているということを実感できなくなる。


そんな状況で、仕事にやりがいや楽しさを見出せなくなるのも無理はないような気がする。


少なくとも、僕は、自分が誰かの役に立っていることを肌で感じ取ることができるような仕事をしたい。


【バーゲンブック】  おとなの進路教室。

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