生きづらいふ

人生をクリアに、シンプルに、さわやかに。

周りの価値観に振り回されず、自分自身の声に耳を傾ける

もしかしたら、人生を舐めている僕はとっても恵まれているのかもしれない。

 

こないだコメントをくださった方から再度コメントをいただいた。

 

私も頑張れない人で、義務教育から大学までなんでみんな人と同じことをするために必死になってるんだろうって思ってました。そして学校、保護者に迷惑をかけっぱなしでした。でもその「みんな」の中には家庭的な事情があってなんとか大学に入学して稼がなきゃいけないという選択肢の無い友人がいました。よく彼女に「あんたは後ろ盾があっていいね」と言われました。その時はピンとこなかったのですが、今になってみると自分には色々な選択肢があって努力次第ではそれを掴み取ることができます。あまりにも選択肢がありすぎてどう選んだら正解なのか分からなくなってすぐ立ち止まったり逃げたりします。きっとそれを端から見たら人生舐めてると思われるのかもしれません。 

 

僕には、「みんな」は目標に向かって、必死に努力できるスーパーマンに見える。けど、中にはそうせざるを得なくてそうしている人もいる。そうするしか選択肢がなくて、必死になっている人もいる。追い込まれた人は強い。

 

僕は何にも追い込まれていない。環境には恵まれている。衣食住不自由ない。身体も至って健康。端から見れば、立派なリア充だ。自分がやろうとさえ思えば、なんだってやれる。選択肢は無数にある。まだ若いんだし、なんだって挑戦できる。失敗のリスクも少ない。今のうちならなんだってやれる。

 

人生舐めるのって結構贅沢な環境で育たないとできないですよ。ラッキーですね。 

 

ラッキーという言葉は皮肉ではなく、目の前に様々な可能性があって今は 物事に強い興味がわかなくてもある日何かを見つけた時にそれを手にする可能性が高いということです。

 

レストランのメニュー表でいえば、僕はファミレスのメニュー表を持っているような状態だ。いろんなメニューがある。選択肢はたくさん。その中からどれを選ぼうか、悩んでいる。優柔不断な僕はなかなか決められない。あっちにしようか、いやこっちにしようか。

 

けど、いざ決めてしまえば簡単にそれを手にすることができる。料理を決めて注文さえしてしまえば、すぐ料理は運ばれてくる。人生においては、簡単に結果が得られるとは思えないが、とりあえず動き出すことはできる。

 

ですから周りの価値観に振り回されず自分自身の声をよく聞いてあなたにしか歩めない人生を見つけて欲しいと思いコメントした次第です。 

 

周りの価値観に振り回されない。これまでの僕は、周りの価値観に振り回されまくってきた。「こうするべきなんだろう」「こうしなきゃいけないんだろう」という、「べき」に振り回されてきた。そして、自分の声をないがしろにして、耳を傾けてこなかった。

 

もちろんやるべきことをやる、ってことも大事だと思う。だけど、それと同じくらい自分の「やりたいこと」に目を向けるのも大事だ。特に、これまで自分の欲求を覆い隠してきた僕は、もっともっと自分の「やりたいこと」に目を向けていっていいはずだ。

 

今の僕は恵まれている。やろうと思えば、なんだってやれる。もっと自分自身の声に耳を傾け、自分の欲求に従ってみたい。周りの価値観ではなく、自分の価値観に沿った生き方をしてみたい。