生きづらいふ

人生をクリアに、シンプルに、さわやかに。

たこ焼きと生きづらい自分たちを重ねて/ダンゴムシ二次会

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無事、終了した3回目の石の裏のダンゴムシの会。17時に会が終わったあとは、2種類の二次会が行われた。1つは、参加者のひとりであるTさんが現在暮らしているシェアハウスでのたこ焼きパーティ。もうひとつはMさんが呼びかけたファミレスでの談笑会。僕はシェアハウスでの二次会に参加した。

 

この二次会はもちろん強制ではなく、自由参加。シェアハウス組に参加したのは、前述のTさんと僕と、さっきとは違うMさんと、ダンゴムシ会のレポート記事で登場した39歳のHさん、そしてKさんとSさん。

 

そして、こないだお邪魔したばかりのシェアハウス板橋さんにふたたびお邪魔した。住人のBさんと居候(?)のなかにしさんとまたお会いすることもできた。(前回、お邪魔したときの記事はこちら。あれだけ嫌だった「人と会うこと」が僕を変えた/シェアハウス板橋

 

さっそくたこ焼き作りに取りかかり、どんどんたこ焼きを焼いていった。よくドン・キホーテとかに売ってるたこ焼き器を貸していただいて、みんなでコロコロ焼いていく作業をやっていた。

 

やっている最中に、なぜかたこ焼きを人に見立ててふざける流れになった。どうやらあのたこ焼き器は、はじっこのほうが火が強いらしく、周りのたこ焼きが早く、キレイに焼けた。それに対して、まんなかのほうはなかなか焼けず、形が悪くなってしまった。それを見て、「キレイなたこ焼きはリア充、まんなかのやつは生きづらさを抱えたたこ焼きだ」と、冗談を飛ばしていた。

 

キレイに焼けるたこ焼きを「リア充だ、爆発しろ」などと罵倒し、形の悪いたこ焼きに対しては、「自分たちを見てるようだ...」と、なぜかたこ焼きに親近感を覚えたりしていた。ダンゴムシの会の参加者だからこそ、出てくる発想だったのだろう。

 

 

そんなこんなで楽しくたこ焼きを焼いては、食べ、焼いては食べ、を何度か繰り返しパーティはひと段落した。今日、はじめて会った人もいたのに、すごくいい雰囲気だったし、すごく楽しい時間だった。22時ごろになって、別れを惜しみつつもシェアハウスをあとにして、駅で解散した。

 

ダンゴムシの会では、どんな生きづらさを抱えているのか、とか、これまでの生い立ちなんかをじっくり聞いたりして、”生きづらさの吐き出し”を目的としているけど、二次会では、もっと気楽で単純に楽しい時間を過ごすことができた。普段の人間関係では、なかなか言えないことをさらけ出せる人たちどうしで集まったことで、自然体な自分でいれたのかもしれない。

 

ちなみにもう一方のファミレス二次会は、どうやら3次会までおこなって盛り上がったようだ。

 

ダンゴムシで出会ったひとたちといい関係を築くことができてうれしい。みないい人たちばかりだ。社会のなかで、石の裏に影をひそめながらひっそり生きている人たちどうしが集まることで、安心感を持つことができた。ダンゴムシの会を安全基地として、参加者が自分の人生をよい方向へシフトさせていければいいな、と思う。もちろん僕自身も。