生きづらいふ

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殺人事件の裁判を傍聴してきた

はじめて裁判の傍聴に行ってきた。何年かまえから行ってみたいなと思っていて、今回はじめて行ってきた。僕ひとりではなく、友人と2人で。

 

電車で霞が関まで行き、東京地方裁判所へ足を踏み入れた。入口では一般訪問者用の手荷物検査をやっていた。空港にある、かごに手荷物を置いて機械のトンネルのなかをくぐって出てくるというアレがあった。

 

無事、検査を抜けると広い玄関ホール。受付のところにある開廷表にその日行われる予定の裁判が載っていて、それで傍聴したい裁判が何階の何番の法廷で行われるのかを確認する。

 

傍聴したのは去年の3月頃に起きた殺人事件の初公判。内容をどこまでブログに書いていいのか分からないので、あまり内容には触れないように書く。

 

10時開始の裁判だったのだけど、10時ちょっとすぎに法廷にいくとすでに満席。満席だと中には入れない。しばらく時間を空けて、11時ちょっと前にもう一度法廷にいくと、どうやら休憩時間なのか一旦裁判が中断している様子で、席も空いていた。

 

11時から裁判が再開し、退室していた今回の被告人が戻ってきた。手には手錠がはめられ、その両手と腰のあたりをロープで巻かれている。両サイドには体格のいい警察官(?)がいて被告人を連れている。

 

僕ははじめて「人を殺した人」を目の前にして、すこし怖くなった。そして法廷が意外と狭いというのもあって、傍聴席と被告人との距離はほんの5ⅿくらいだったろうか。その距離感もすこし恐怖を増した。

 

裁判ではおそらく検察側だと思われる人たちが、「証拠調べ手続き」という話をはじめた。法廷内に2つ設置されている画面にパワポのスライドを表示しながら、事件の流れや関係者の供述などを説明していた。

 

この話を聞いて、どうして被告人が殺人を犯したのか、だいたいのストーリーが分かった。この裁判は1日がかりだったようだけど、僕は1時間15分ほどしか傍聴しなかったので、この事件の全貌までは分からない。けど、おおまかなストーリーを聞いたかぎりでは、この事件の被告人はそこまで卑劣な人物ではないと思った。

 

もちろん殺人を犯したことに間違いはないのだろうし、罰せられるべきだと思う。けど僕が思ったのはその被告人は「ただの殺人犯」ではなく、その人もAさんという「人間」であるということだ。

 

傍聴席から出たあと、僕はその殺人事件が起きた当時のニュース記事をネットで見てみた。記事の内容と裁判で聞いた話にズレはなかったが、記事の書き方に偏りがあるように思った。「××で殺人が起きた。犯人は殺意はなかった、と否認している。」と書かれていて、これだけを見れば犯人が言い訳をしているように思えてしまう。

 

報道する側とすれば、「悪いやつが殺人を犯して捕まった。」ということを伝え、国の秩序を守るように情報を伝えなくてはいけない。だからこうして犯人が悪いやつに思えるように報道するのだろう。けどその事件にはいろんな人間らしいストーリーがある。犯人は「ただの殺人犯」ではなく、「人間」なのだ。

 

事件の報道をみるときには、それだけで起きたことの善悪を判断せずに、「ああ、そういうことがあったんだな...」というくらいに思っておいたほうがいいのかもしれない。

 

裁判を傍聴してみて、この記事では書ききれないくらいいろんなことを思った。無料で傍聴できるから、興味のある人は行ってみるとおもしろいと思う。