生きづらいふ

人生をクリアに、シンプルに、さわやかに。

どうでもいいはなし

ふとブログを書きたいと思ったので、おもむろにパソコンを開いた。でもなにか書きたいことがあるわけじゃない。なんとなく文章を書きたいと思っただけだ。だからこれから書くことはたぶんとにかくどうでもいい話だ。

 

最近、毎日おなじような生活をしていて感じることがある。時間が過ぎるのが早すぎる。あまりにも早い。だいたい9時前後に起きて、朝ごはんを食べながらお気に入りのゲーム実況を見て、しばらくネットサーフィンをしたら、いつのまにかお昼を過ぎている。14時ごろに昼食を用意して、それを食べながらまたなにかしら動画を見る。そしてそのまま夕方になり、19時ごろになって夕食を食べながらテレビで野球を見る。

 

これが最近の僕の日常である。こんな日常がとにかくものすごいスピードで過ぎていくのだ。外出したり、イレギュラーな予定が入ったりすることもあるが、ほとんどは変化のない日々なので、おなじような過ごし方を繰り返している。1日1日の内容が薄い。昨日なにをしていたか、先週なにをしていたのか、いまいち記憶がはっきりしない。なんせ毎日おなじだからだ。

 

いまの僕には無限に時間がある。時間を持て余しまくっている。やろうとおもえばなんでもできるはずなのに、なにもしていない。すごくもったいないことをしていると思う。もしお金に余裕があれば、できることの幅がもっと広がるのだろうが、いまの時代、お金がなくたってできることはある。それなのになにもしていないのがもったいない。

 

いや厳密にいえば、なにもしていないわけではないのだ。毎日、動画を見たり、テレビを見たり、食事をしたり、散歩に行ったり、本を読んだり、DVDを見たり、となにかしらをしている。ほんとうになにもせずにただ天を見つめて横になっているわけではない。ただこれらは全部、消費する行為だったり、こちらがなにかを受け取るだけの行為だ。だからなにもしていないように感じるのだ。

 

自分がなにかを生み出す行為、生産的な行為、をしないとなにかをした気分にはならないのだ。多くのひとは、働くことによってその部分を埋めている。自分がなにか生産的な行為をし、人の役に立っている、社会の役に立っている、という気分を味わって安心しているのだ。そういう意味では人は働いたほうが元気よく生きていけるのだろう。

 

ちょっと話が逸れた。

 

とにかくなにか生産的なことをしてないと毎日を無駄にしているような気がして、しんどいという話だ。5月くらいからずっとおなじことを言っている気がするが。なにかをしよう、なにかをしたいとはずっと言っているのだけど、なにをすればいいのか分からないでいる。

 

きっともっとノリで行動してみたほうがいいんだろうと思う。なにかをしたいと思っていてもなかなか行動に移さないのは、なんだかんだでやらない理由を探してしまっているからだ。「○○をやってみようかな」「いや、でもそれって需要あるのか?」なんて具合にだ。たぶんもっとその場のノリとか自分の好奇心とかを基準にして、「やってみたい」「それおもしろいんじゃない?」と思ったものにどんどん手をつけていけば、なんだかんだそれが形になったりするんだと思う。

 

批判されるんじゃないかとか、つまらないやつだと思われるんじゃないかとか、つまらないプライドが邪魔をしている気がする。ニートになって毎日無為に過ごしている時点でプライドもなにもないので、あまり気にせずにいろいろやっていっていいんじゃないだろうか。最低限の羞恥心は持っておく必要があるだろうが。

 

はい、そんな感じ。どうでもいい話、おわり。