生きづらいふ

人生をクリアに、シンプルに、さわやかに。

雑感

父親のこと

昨日のこと。夕方に母親からLINEが来ていて、「父親が来るみたいだから、玄関をあけてあげて」という内容だった。


いまぼくは母と弟たちと4人で暮らしている。ぼくが物心ついたころから、母親が父親を徹底的に嫌っていて、そのストレスに耐えられなくなって父親だけを残して4人で引っ越したのだ。小さいころから、お母さんはかわいそうな人、父親はイヤなやつ、という先入観をもって生きてきた。だからぼくも父親は嫌いだし、まったく心を開かない。そして引っ越して以来3年以上、父親と会っていない。


そんな事情があるなかで、昨日突然、父親が家に来るという報せが来たのだ。かなり動揺したし、とてもこわかった。とりあえずLINEは見て見ぬふりをして、部屋にこもった。実際に父親が来たとしても気配や声を聞かなくてすむように、イヤホンでラジオ(山ちゃんの不毛な議論)を聴きながら布団で寝ることにした。


結果、2時間強を布団の上でやりすごした。そろそろ大丈夫だろうかと思い、リビングへ降りると父親はおらず、いつもと同じ状態になっていた。そして、何事もなかったかのように夕飯を食べた。ぼくは安心したような気持ちと、まだ多少の動揺と恐怖が残っていた。はじめは、昨日ツイッターでつぶやいたように怒りを感じる瞬間もあったりしたのだけど、しばらくしたらいつものように雑談したりしていた。


そしてどうやら本当に父親は家へ来たみたいだった。なんで来たのか。なんで入れたのか。なにもわからない。わかったのはぼくが自分で思っている以上に、父親に会うのをこわいと思っていること。とんでもなくこわかった。

仕事のこと

仕事のほうはまずまずだ。いやあまりよくないかもしれない。というのも、いま仕事を教えてくれるような先輩があまりいないのだ。弊社はベンチャーで、社員教育という文化があんまりない上に、いまのぼくの業務を見ている先輩が近々退職してしまうため、面倒を見てくれる人がいない。


となると自分でなんとかするか、誰かを頼るしかないのだけど、いろいろな事情からあまり動けずにいる。ひとまず今週次第かな、という感じ。様子見。

人間関係のこと

いまほとんど友だちがいない。時々さびしくなって、友だちがほしいなと思うときがあるのだけど、いざほんとうに誰かと仲良くなりそうになると、こわくなって逃げたくなってしまう。これ以上は心を許したくない、という一定のラインがある。


基本的に人と接するときは、ある程度演じていてほんとうの素を見せていない。仲良くなりすぎてしまうと、その演技に限界が来てしまいそうで逃げたくなる。もしくは逃げ場がなくなってしまうような気がしてこわい。

こないだ同世代の同僚たちと、めずらしくふらっと飲みに行った。仲良くなれた気がしてうれしい反面、なんだかこわくなった。楽しく仕事ができる程度に仲良くなるのはうれしいのだけど、それ以上になるのはこわいと思った。


こんな感じで人と一定のラインを敷いているから、いつも友だちができない。できない、というか自分で拒んでいる。逃げている。悲しいなあ。

ダンゴムシのこと

じつは今日、ダンゴムシの会の3周年記念会が行われている。たぶんいまやっているのかな。


一応説明しておくと、「ダンゴムシの会」はこのブログから派生して3年前に立ち上げたコミュニティで、生きづらさを感じている人たちのための安全基地というコンセプトで活動している。ぼくは去年3月に"卒業"という体で代表を辞めた。そのあとも新しい運営陣のもと月1回の活動が続けられ、今日が3周年ということになった。


時々、仲良くなった参加者さんたちと個別に会ったり、遊んだりはするのだけど、会自体にはほとんど行っていない。ほんとうは今日、行きたかったのだけどあいにく都合が悪く。


直近1年の状況はなにも知らないし、もはやダンゴムシの会の何者でもないので、偉そうに語るのは自重しておくけど、改めて会を作ってよかったな、と。当時は生きづらさの渦中にいて、人生をどうにかしようともがいていた。そんななかで作って、いろんな人と出会って、いろいろ変わった。初対面の人と会うのを繰り返すことで、多少コミュ障が改善されたし、いっしょに遊んだりする人もできた。


いまぼくはダンゴムシの会を必要としていないけど、当時は必要な場所だった。それにダンゴムシがなければ、いま会社以外に知り合いがまったくいなかった。家と会社以外に、もうひとつコミュニティがあるのはけっこう貴重な気がしている。


なにはともあれ、3周年おめでとうございます。