生きづらいふ

人生をクリアに、シンプルに、さわやかに。

ブログの更新頻度が落ちている理由

かれこれ6年近くブログを書いているが、年々更新頻度は落ちてきている。
(昨年は少し盛り返したが)

このブログは「生きづらいふ」と名付けている通り、ぼくが感じる生きづらさについて書いてきた。
その更新頻度が落ちたということは、生きづらいと感じることが減ってきた証拠なのかもしれない。

実際、その一面もある。
ブログをはじめた当初ほど、落ち込むことは格段に減ったし、けっこう毎日元気にのほほんと生きている。

でもたぶん理由はそれだけじゃなくて。
以前ほど、自分自身と向き合わなくなってきているからなんじゃないかという気がしている。
生きづらかった頃は、まだ大学生だった。で、その頃はめちゃくちゃ時間があった。

時間がある分、余計なことを考える時間が多かった。
あんまり友だちもいなかったので、一人でいることが多かったし、読書ばかりしていた。
本をよく読むと、得た知識を起点にいろんなことを考える。そこからまた余計なネガティブな思考がはじまって、もやもやとしていたんじゃないだろうか。

つまり、以前のぼくは暇で孤独だったために、ついつい余計なことを考えてしまって、自分や人生と向き合い過ぎていたんじゃないかと思う。

大学は心理系で、人間とは・人生とは・社会とは、みたいなことをよく考える講義が多かったし、読む本もそういうのが多かった。
だから自然と、生きづらさを感じるような思考をしていて、見ている景色もそうなってしまっていたんじゃないかな、と。

じゃあいまはどうか。
会社員になってからは、余計なことを考える時間が圧倒的に減った。
というか、考えていたら心がもたなくてやっていけないんじゃないだろうか。
会社で起きたこと、上司や同僚から言われたことに、いちいち向き合っていたらたぶん心爆発しちゃう。
それにどんだけ向き合っても、すぐに次の朝はやってくるので、向き合うには時間が足りないし、そもそも日中しんどい思いをしたのだから、せめて一人でいるときくらいは楽しいことを考えていたい。だから向き合うことすらしなくなる。

時間の有無だけじゃなくて、シンプルに日常が充実しているかどうか、という違いもあるとは思う。学生のときはただの暇な学生で、バイトもろくにせず、かといってめっちゃ勉強してるわけでも、趣味に打ち込んでるわけでもなかった。
そんな自堕落な自分が嫌いだった。

会社員になってからは、体面上はちゃんと働いている。仕事ができないという悩みはあれど、それでも周囲からちゃんと評価してもらえるシーンもあるし、人間関係もいたって良好。充実している。
その生活の差によって、以前ほど自己嫌悪しなくなって、生きづらさの減少につながっているというのもある。

でもいまでも仕事ができなくて、辛くて、落ち込むことは多々ある。あまりに辛くなると、ブログを書く。

けど、頻繁にではない。
日々、なにかしらメンタルにダメージを受ける出来事は起きる。以前はそのひとつひとつにしっかり傷ついて、凹み、悩み、苦しんでいた。けど、いまは毎日そんなことしていたらキリがないし、24時間辛くなってしまうのでそこまでしない。
本当に辛いときだけ、唯一の吐き出し口であるここに書く。

なんでこんなことを書いたかというと、
「今日、連休最終日だしなんかブログ書きたいなー」と思ったときに、ネタがなくて。
ネタがないことはそんなに珍しいことじゃないんだけど、でも昔はいっぱい書いてたよなあ、と。
でもなんでいっぱい書けてたんだろう?と。
そこから自問自答がはじまって、上述の思考に至ったのでちょっと書いてみた次第。

まとめると、年々ブログの更新頻度が減っているのは、人生が充実していて、人並みに忙しくなったから。

いいことだ。