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内向的な人による、内向的な人のための、内省ブログ

自分の生き方が見つかりそうなんだけど、でもやっぱり迷子になる

僕の性格がどこまで異常なのか分からない。たんなる性格のレベルなのか、「障害」と診断されるほどのレベルなのか。

 

性格と障害は連続的であって、その区別は微妙なところ。こればっかりは自分で判断できない。プロの力に頼るしかない。そのプロであっても、医者によってきっと判断が分かれることがあるだろう。

 

それほど性格と障害の区別は難しい。著しく偏った性格を持っていたとしても、本人がとくに問題なく社会生活を送れていれば「障害」とは判断されない。

 

しかし、偏った性格を持つ本人、もしくはその人の周りの人たちが苦しんでいるのであればそれは「障害」と判断されるのだろう。

 

僕の周りの人が苦しんでいるかは分からないけど、少なくとも僕自身は苦しんでいる。この3年間ほど、自分の性格についてもがき続けている。もがき続けた3年間、ちょっと前に進めたかと思うと、またちょっと立ち止まる。そんな日々が続いている。

 

ここ数ヶ月は自分の性格についてわりとポジティブに考えられている方だ。もう無理に自分を変えようとする必要はない。自分にできることをできる範囲でやればいい。ありのままの自分で生きることができる環境を見つけよう。そういう風に考えられていた。

 

 

だけどその一方で、やっぱり僕はこの「障害っぽい」性格を治さなければいけないんじゃないか?という焦りのような気持ちもあった。

 

今、僕がもっとも悩んでいるのは、「自己愛」についてだ。本当のところは分からないけど、「自己愛性パーソナリティ障害」を疑っている。この障害ではないとしても、「自己愛」が人より強いことは確かだと思う。

 

本当に深刻な自己愛性パーソナリティ障害の人は、まさか自分が障害だなんて気づかないらしい。自分が絶対に正しいと信じ込み、まさか自分の性格が異常だなんて思わないのが自己愛性パーソナリティ障害。

 

自分で自覚できている分、僕はまだ軽度なのかもしれない。ネットでこの障害の克服方法を調べてみた。やっぱり精神科や心療内科・カウンセリング等に行った方が早いらしい。

 

とても厄介な障害なため、克服はとてもむずかしいらしい。なかには、医者でさえもさじを投げてしまうこともあるみたいだ。「克服は無理。」という文字を見た瞬間、絶望した。

 

僕はどうしたらいい。なんだか前に進めそうで進めない。自分の生き方が見つかりそうになると、また迷子になる。もうちょっとで視界が開けそうなんだ。前みたいに死にたくなるほど落ち込んでないんだ、今は。だけど、歩むべき道が見えないんだ。

 

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