小心者の僕は、たいしたことのないできごとをとても深刻に考えてしまう。それを象徴したできごとが中学1年生にときに起こった。
中学校へ入学したての4月下旬だか、5月のあたまごろ。新1年生は美術の授業で使う絵の具を購入する必要があった。その絵の具は申し込めば学校で注文してくれることになっていた。
絵の具の購入は強制ではなく、家庭で用意できるのであればそれでも許されていた。しかし、クラスのほとんどが絵の具を注文するようだった。もちろん、僕もそのつもりだった。
担任の先生から集金用の封筒が配られ、締め切り日が告げられた。僕は母親に絵の具を購入する件を伝え、お金を用意してもらった。
僕は締切日の数日前に、母親が用意してくれたお金を封筒にいれ、自室の机の引き出しに入れておいた。
しかし、結局、集金の締切日を過ぎても、封筒が引き出しの中から取り出されることはなかった。
僕はすっかり集金袋を提出するのを忘れてしまっていた。気づいたのは締切日の翌日だったか、翌々日だったか。
冷静に考えれば、まだなんとかなるはずだ。先生に「すみません、忘れちゃってたんですけど、まだ間に合いますか?」と言えば先生がなんとかしてくれたかもしれない。だから先生にそう言おうと思った。
しかし、この頃から小心者だった僕は怖気づいた。掃除の時間に先生に声をかけようと思ったが、タイミングがつかめなかった。それにミスをおかした自分は怒られるのかもしれない、と思うと声が出なかった。
結局、僕は絵の具を注文することはできなかった。
だけど、美術の授業が始まる時期はもうすぐにせまっていた。僕はなんとかして絵の具を自分で用意しなければならなかった。絵の具を自分で買いに行くしか選択肢はないように思われた。
僕は絵の具が売っていそうなお店はどこだろうと考え、近所にある某有名スーパーマーケットにめぼしをつけた。だけど、ひとつ問題があった。僕は中学生にもなって、1人で買い物に行くことに慣れていなかったのだ。
スーパーは自宅から徒歩10分ちょっと。大した距離じゃない。だけど当時の僕には、とんでもない大冒険に繰り出すような気分だった。それに、このことは母親にも相談できなかったから、僕はたった一人で未知の大冒険に出発しようとしていた。
美術の授業を明日に控えた日曜日。僕は提出されることのなかった集金袋から、お金を取り出し、サイフへ移した。そのサイフをしっかりと握り締め、自宅を出た。僕の小さな冒険が始まった。「はじめてのおつかい」で密着するには成長しすぎている中学1年生の船出だった。
スーパーまでの道中、頭のなかでレジでのやりとりを何度もシミュレーションした。商品を出して、お金を出す。おつりが出ればそれを受け取る。復習するほどのことでもないことをなんべんも繰り返し、そのときに備えた。
スーパーにたどり着き、文房具売り場へ。数種類ある絵の具の中から、美術の先生指定の絵の具を探し出し、手に取った。よし、あとはレジに持っていって、お金を払うだけだ。いざ、レジへ。
その場へ来てみると案外、冷静だった。絵の具を台へ置き、バーコードを通されるのを見届けた。代金が表示される。お金は足りた。おつりを受け取り、絵の具が入ったビニール袋をつかんだ。
僕は大きな偉業を成し遂げたような気分で、意気揚々とスーパーから出た。集金袋を出しそびれたあの日からこの瞬間までずーっと胸にあったどんよりとした重苦しい気分が、一気に消えた。気持ち晴れ晴れとはこのことか。
結局、母親にも先生にも怪しまれることなく、僕は絵の具を用意できた。翌日の美術の授業では、ほとんどみんなが同じメーカーの絵の具を使っているのに対し、僕だけ違うメーカーの絵の具を使っていたが、絵の具自体に問題はなかった。一安心だった。
中学校3年間。卒業するまで美術の時間には、僕だけ違うその絵の具を使った。それは僕にとっては、苦い想いの詰まった絵の具でもあるし、ハラハラドキドキの大冒険の思い出が詰まった絵の具でもあった。
先生にも母親にも相談できなかった小心者が体験した小さな大冒険。みんなにとってはなんでもないできごとかもしれない。誰かに相談すればすぐに解決できた問題かもしれない。
だけど、僕にはそれができなかった。舗装された近道があったのかもしれないけど、僕は険しいジャングルを突き進んだ。そんな冒険を乗り越えた僕は、少しだけたくましくなったような気がした。