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生きづらいふ

人生をクリアに、シンプルに、さわやかに。

コミュ障社会人の僕がいま苦労していること

フルタイムで働きはじめてから仕事について書くことが多くなっている。ほんとうはもうすこしいろんなことについて書いていきたいと思っているのだけど、どうしても頭のなかが仕事のことでいっぱいになっていて、それをここで吐き出しておかないとやっていけない気がするのだ。

 

最近、ツイッターでもちょこちょこと仕事についてつぶやいているのだけど、すこしずつネガティブな発言が増えてきている気がする。ネガティブなことを一度言ってしまうと、そのまま言葉に引きずられてずるずると仕事がつらくなってしまいそうなのであまり言いたくはないのだけど、少しずつ出てきてしまっている。

 

仕事は大変だ。それなりに苦労している。でもそれは僕が元ニートだからそう感じているのではなく、全国の新卒みんながそう感じているんだと思う。いまみんな同じように大変な思いをしながら仕事を覚えている最中なんだろう、と。そのなかでも僕は不器用でコミュ障だから、すこしばかり多く苦労を感じているんじゃないか、と自分では思っている。

 

なにが大変か。いまなにに苦労しているか。いろいろあるのだけど、あえてひとつに集約するならばそれは、「コミュニケーション」だ。仕事をする上でコミュニケーションは必ず発生するが、僕がやっている営業事務はとくにコミュニケーションが必要な仕事だ。

 

社員と連携を取ったり、いろんな連絡をしたり、電話対応をしたり。コミュ障にとってはつらい場面がたくさんある。まずそもそも社員さんとの打ち解け方が分からない。社員さんとある程度なかよくなることができれば、仕事も格段にやりやすくなる。なんだけど、目上の人、年上の人との話し方が分からなくて困っている。

 

気を遣いすぎてしまって、すごくかしこまった話し方になってしまう。どこまでフランクに?くだけた?話し方をしていいのか分からず、なにも話せなくなってしまう。なので簡単な雑談もろくにできず、社員さんとあまりなかよくなれていない。自分のメンタルの調子がいい日はすこしマシになるのだけど、ずっとは続かない。

 

最近ちょこちょことダンゴムシの人と会っているのだけど、そのときの僕はあまりコミュ障ではない。ふつうに相手に質問したり、会話を転がしたり、冗談が言えたり。会社にいるときとは別人なほどしゃべることができる。そのときのような精神状態で仕事ができたらだいぶ仕事が楽しくなってくると思うのだけど、なかなか難しい。

 

あとコミュニケーション以外で困っているのは、心に余裕がないので視野が狭まってしまい、その結果言われたことしかやれなくなってしまっていること。やり方が明確に決まっているわけではない作業が多く、その都度自分で「こうやったらいい感じになるな」と考えてやっていく必要があるのだけど、僕はとにかくやり方の正解がほしいと思ってしまう。だから上司に逐一「これってどうすればいいんですか?」と正解を聞いてしまう。

 

いまは右も左もわからないので、聞くことはそんなに悪いことではないと思うけど、そろそろ自分で考えてやってみないといけない時期に来ているような気がする。上司にもちらほらとそんなことを言われはじめている。学生時代、勉強をするときにも、自分で考えて答えを導き出すのが苦手だった。だから数学が大嫌いだった。逆に答えが明確になっている日本史などが好きだった。

 

おもにそんなところで苦労を感じている。たまに心が折れそうになってしまうときがある。けどさっきも言ったように、この苦労は僕だけじゃなく、いま新卒のみんなが感じていることなんだと思うことでやり過ごしている。そして、おそらくこれ以上ないほどやりやすい環境で働かせてもらっていると思うので、それを忘れないようにしている。いまだにきつく怒られたことはないし、みんなとっても優しくていい方たちばかりだ。せっかくチャンスをもらったのだから、ここでがんばっていこう、と思っている。

 


 

【お知らせ】

2015年7月に起ち上げた「石の裏のダンゴムシの会」が今月も開催されます。生きづらさを感じている人のための居場所です。いまは別の方に運営を任せているので、僕は参加しませんが、生きづらさを吐き出したいと思っている方、ぜひどうぞ。くわしくはダンゴムシの会のブログをご覧ください。

【告知】5月開催のお知らせ(2017/5/28) - 石の裏のダンゴムシ

人と接するときのマイナスとプラスの話

僕はひとと接するとき、なるべく「害を与えないようにしよう」と思っている。相手が嫌がることをしない、傷つくことを言わない、不快にさせない。ただ自分が嫌われたくないがためにそうしているだけなのだけど、そのおかげでいつも波風の立たない人間関係を維持できている。

 

ただ、それだけではダメだと最近思うようになった。

 

「害を与えない」というのはつまり「マイナスを与えない」ということだ。それも大事なことかもしれないが、これからはひとに対して「プラスを与える」こともしていこうと思うようになった。プラスを与えるというのは、自分からひとに対してなにか働きかけるということだ。身近なところでいえば、気づかいとか親切とか。

 

4月から働きはじめて、職場でいろんな大人の方を見ていてそう思うようになった。ひととの接し方、コミュニケーションの取り方、いろんな場面で「すごいなあ」と思わされた。大人っていつもひとのことを考えて動いているんだなあ、と。僕は自分のことばかり考えてしまっている。

 

思えば僕はいつも「マイナスを与えない」ように生きてきた。プラスをしようとするのはリスクが付きまとう。たとえば、目の前のひとがとても落ち込んでいて心配になったので声をかけてあげようと思ったとする。そこで声をかけてあげるのは「プラス」かもしれないが、もしかしたらそのひとはいまは放っておいてほしいと思っているかもしれない。だとしたら声をかけたら「マイナス」になってしまう。その可能性を考えてしまって、いつもためらってしまうのだ。

 

自分が相手になにかをしたとき、相手にとってそれが「プラス」になるのか「マイナス」になるのかは相手が決めることなので自分にはわからない。マイナスになるという可能性がある以上、なにもしないほうが得策だろうと思って、結局なにもしないという安全策を取ってしまう。

 

おなじ理由で僕はひとを遊びに誘ったり、話しかけたりできない。あの人を誘ってみたい、あの人に話しかけてみたい。そう思ったとしても、それが相手にとって迷惑かもしれない、と思ってしまって結局なにもできない。ダンゴムシの会のように「やります!」と不特定多数に声をかけて、参加するかどうかはその人の意思にまかせるという方式でなら大丈夫なのだけど、特定のひとを誘うのはなかなかハードルが高い。

 

結局は自分が傷つくことを恐れているだけなのだ。断られたり、嫌われたりするのがこわくて、その危険をおかすくらいならなにもしないほうが安全だという策を取っているだけなのだ。プラスを得るチャンスを逃してでも、マイナスを味わいたくないという心理。

 

でも今後はほんのちょっとでいいから、リスクをおかして「プラス」の行為をしていきたい。すこしだけリスクをおかせば、自分もひともハッピーになれるかもしれない。安全策を続けていれば、平和は維持されるかもしれないが、それ以上楽しいことは起こらない。

 

いままでの自分が「マイナスを与えない」ことに10割の力を注いでいたとするならば、今後は「マイナスを与えない」を9割、そして「プラスを与えてみる」を1割という配分にしていきたい。たった1割だったらそんなにむずかしくはないだろうから。

ひとは変われるのか

いまでこそ元気になった僕だけど、ちょっとまえまでは自分のことが大嫌いだった。激しく自己嫌悪して、毎日つらかった。なんでこんなにクズなのか、どうしたら普通になれるのか、どうしたら性格を変えられるのか。毎日考えていた。

 

あれからなんやかんやあって、いまはそこそこ自分のことが好きになった。基本的にはクズだけど、そんなに悪いやつでもない、と思っている。あれだけ苦しんでいたころがなつかしく思える程度にはいまは悩んでいないし、自分でも「変わったな」と思う瞬間があったりする。

 

ひとは変われるのだろうか。

 

生きづらかったころは何度も考えたテーマだ。どうやった変われるのだろう?そう考えて、ネットでさんざん検索したし、本も読み漁った。けど全然変われなくて、あいかわらずクズな自分を責めていた。みんなみたいになりたくてしかたなかった。普通になりたくてしかたなかった。変わりたくてしかたなかった。

 

結論からいえば、ひとは変われると思う。ただ実際には、イメージしているような「変わる」とはちょっとちがう。「変わりたい!」と切望しているときは、あたかも別人になる、と言わんばかりにいまの自分とちがう状態になりたがっている。いまの自分を全否定し、真逆の人間になろうとしている。

 

それは無理だ。あくまで自分は自分だし、別人になることはできない。ただの水が急にコーラになることはありえない。けど、水にコーラを注ぐことはできる。水にコーラをどんどん注いでいけば水は薄まり、コーラが濃くなっていく。けどどんなにコーラを注いでも、そのなかに水は必ず残っている。まったくべつの液体になることはなく、あくまで水とコーラが混ざっている状態になる。

 

それとおなじように、どれだけ変わろうとしても自分は残る。ポンっと別人に変身することはできない。けど、いまの自分を「薄める」ことはできるかもしれない。いったんいまのクズな自分を受け入れて、そこに新しい要素を注いでみる。そうすればいつの間にか、もともとのクズな部分が薄まるかもしれない。そして新しい要素が混ざって、以前とはすこしだけちがう自分が出てくるかもしれない。

 

僕自身の感覚としてはこんな感じだ。「変わった」というよりは「薄まった」という感覚。確実にクズな自分は残っているし、消しようがない。そこに人との出会いや、環境の変化、体調などいろんな要素が混ざって、時間をかけてすこしずつ以前の自分が薄まっていく。

 

だから必死で「変わろう」とするんじゃなくて、とりあえずはいまの自分を「薄めよう」とするくらいでいいんじゃないだろうか。どっちにしろ変わるにはそれなりの時間がかかるのだから、ゆっくりゆっくり混ぜていけばいい。

社会人のコミュ力はえぐい

はやくも入社して3週間が経った。ぼくは元気にやっている。

 

思っていた以上に大変だけど、思っていたよりはなんとかなっている。自分がちゃんとした社会人になれるのか非常に不安だけど、毎日がんばって働いている。仕事のスキル云々というよりは、コミュニケーション力が足りなすぎてちょっと困っている。

 

僕にとってコミュ力というのは「言葉を発することができるかどうか」というものなので、相手に対してなにか言葉を返すことができたら、それだけで自分を褒め殺したくなる。

 

だけど社会におけるコミュ力というのは「相手と正しく意思疎通がとれること」を指すようで、それは僕にはとてもむずかしい。まだ社員と連携を取って仕事を進めるという場面があまりないので大丈夫だけど、そのうちそういう場面がたくさん出てくるはずなのでやばい。人見知りだとかコミュ障だとか言っている場合ではない。

 

またあしたからがんばろう。がんばったらゴールデンウイークが目の前だ。なにかしらすてきな予定を入れたい。

就職から逃げたコミュ障がついに社会人になった

こないだの月曜日からついに社会人になってしまった。まだとても「社会人です」と名乗れるような人間ではないのだけど。敬語とかマナーを知らなすぎて、学生が会社に潜り込んでいるような感覚だ。

 

ようやく最初の1週間が終わった。早かったような長かったような。毎日毎日、必死に食らいついていたら土日がやってきた、という感じだ。心身ともに疲れたし、ようやく息がつけて安心している。

 

仕事内容はもちろん、社会人としての常識・マナー、社員の名前と顔。覚えることがたくさんありすぎて大変だった。「これが働くってことか」と痛感した。3月までやっていた派遣の仕事とはすべてがちがった。同じなのは荷物をロッカーにしまうところくらいだ。

 

正直、1日目と2日目の段階ですでに心が折れかけていた。体力的にもしんどくて、精神的にも憂鬱さがあった。「これやっていけるのか、、?」と。しかし人間の順応力というのはすさまじく、3日目で体力的にも精神的にも慣れてきて、すこし自信が芽生えてきた。

 

朝はやく起きることにも慣れ、社員とコミュニケーションを取ることにも若干慣れ、仕事もすこしずつ覚えてきた。「よしよしいけるぞ」と感じられたことですこしだけ余裕が生まれた。なので水曜日以降はわりと元気に出社することができた。

 

言ってしまうと、ITのベンチャーで事務の仕事をしている。いままではほぼひとりでやっていたという先輩社員の下につき、手取り足取り教えてもらいながら事務作業をしている。正直、まだ自分がやっている作業がどういう段階・位置づけの作業なのかよく把握できていないままやっているので、はやく全体像をつかみたいと思っている。

 

とにかく一瞬気を抜くと、自分がいまなにをやっているのかが分からなくなってしまうくらいいろんな業務をやっている。おそらくまだ全体の1~2割くらいしか教わっていないような気がするが。事務の仕事だけでなく、この会社のメイン事業のことも把握しておく必要があるので徐々に理解していきたい。

 

それから一番恐れていた「電話応対」と「来客応対」もやった。そんなの超絶コミュ障の僕にはできっこない、と思っていたのだけど、電話に関しては20件もこなせばある程度慣れてきてしまった。最初のうちは相手が言った「〇〇会社の〇〇です」がまったく耳に入ってこなくて、電話を取り次がなくてはいけないのに、誰からの電話だったのかがわからなくなってしまうという事態に何度も陥った。

 

しかしこれまた人間の順応力はすばらしく、ある程度の数をこなせば多少慣れてくる。いまだに、聞いたことのない社名や長い社名などは聞き取れないことがあるが、その場合には落ち着いて聞き直すこともできるようになった。来客応対はそこまで難しいものではないのですぐ慣れたが、「これ男性がやっていい仕事なんだろうか、、?」と違和感を感じた。たぶん関係ないだろうけど、もうちょっと身だしなみに気をつけないといけない。(基本みんな私服で働いている)

 

社員とのコミュニケーションに関してもある程度は慣れてきた。しかしやっぱりコミュ障を発揮しまくっていて、せっかく話しかけていただいたのにいまいち会話を広げられずに気まずい感じにしてしまったり、気を遣わせてしまったりすることが多々あった。みなさんとてもいい方々で、僕が想像していたような怖い上司や大人は全然いなかった。それだけに気を遣わせてばかりで大変申し訳がない、、。

 

あしたからまた1週間がはじまる。徐々に仕事のハードルが上がっていくだろう。また心が折れかかるような場面に直面することもあるかもしれない。けどすこしだけ踏んばれば乗り越えられそうならがんばろうと思う。ほんとに「無理だ」と感じたらそのとき考るか、だれかに相談する。

 

読者のなかにも、4月から社会人になった方がいるかもしれない。いっしょにがんばりましょう。また、がんばりすぎないようにがんばりましょう。

ダンゴムシの会を卒業した

こないだのダンゴムシの会が個人的に最後の参加だった。卒業だなんてちょっとおこがましいけど、ほかに表現が見つからないので一応「卒業」ということにしておく。自分の生きづらさがひと段落したことと、4月から心機一転してがんばりたいという理由から3月をもっての卒業を決めていた。

 

会の中身については、ダンゴムシのブログのほうで告知担当のつっきーさんがレポートを書いてくれているので気になる方はそちらをどうぞ。

第21回ダンゴムシの会レポート(2017/03/26) - 石の裏のダンゴムシ

 

基本的にはいつもと変わらず、いろんな方と話をしてきた。4月から就職することが決まったので、仕事の話をたくさんした。働いている参加者さんからいろいろアドバイスを聴いたりできて有意義な会話ができた。

 

ぼく自身が就職できたこともうれしかったけど、もうひとり参加者で最近就職した人がいて、それもうれしかったし、びっくりした。だいぶ長い付き合いの人で、ずっといっしょに「いかに働きたくないか」を語ってきたような人だったので、おなじようなタイミングで就職が決まって、お互い進みはじめてるなあ、と。

 

それだけじゃなく、ほかにも「働く」ことに向けて前進しはじめた人が何人かいて、みんな変わりはじめてるなあ、と。すこしずつすこしずつ自分の人生をいい方向にもっていこうと動きはじめてる人が増えてきていて、ダンゴムシの会のなかでいい相乗効果というか、連鎖反応というか。そういうものが生まれているような感じがある。

 

会で「働こう!」みたいな働きかけをしてるわけではまったくない。むしろ「働きたくない」「働くのがこわい」という気持ちをいつでも言えるような雰囲気がつねにあるし、それがダンゴムシのいいところのひとつだ。だけど、すこしずつ「働く」ことに前向きになった人がちらほら出てきたことで、自然と「自分もがんばろう」と思う人が出てきて、いい連鎖が生まれてきてるんじゃないだろうか。

 

で、ちょっと話もどりまして。

 

会のさいごに、なぜかみんながぞろぞろ整列しはじめたかと思ったら、ぼくだけはじっこに立たされて。なんだなんだ、と疑心暗鬼になっていたら、「みんなで色紙を書きました」と、サプライズをしていただきまして。「どうやって?いつ書いたの?」とびっくりしながら、渡された色紙を見てみたら、手書きではなくパソコンで入力された色紙になっていた。なんでもそういうサービスがあるんだそうで。

 

いままで参加した人のなかで、ダンゴムシのLINEグループに入っている人に呼びかけて、20人もの人からのメッセージが書かれていた。毎月参加していてだいぶ仲よくなった人たちや、かなり久しく会っていない人たちまで。いろんな人からのメッセージがあって、「いま読んだら泣く」と思ったので、その場では読まずにあとでじっくり読むことにした。そのあと、その色紙といっしょにみんなで記念撮影をした。

 

そのあとは恒例のサイゼ2次会をやり、今回はさらに3次会まで。3次会で色紙をじっくり読ませてもらったのだけど、なんとか泣くことは避けた。けど、かなりグッときたし、もしお酒を呑んでいたら確実に泣いていたと思う。

 

終電間際の時間帯に帰ったのだけど、4人で駅に向かい、そのうち2人がちがう路線や反対方向の電車に乗り、最後は僕とPさんの2人になった。Pさんはもともとぼくがダンゴムシの会をつくるきっかけを与えてくれた人だ。2年ほどまえに、Pさんがこのブログを読んでぼくに連絡をくれて、そこから付き合いがはじまりダンゴムシの会をつくるに至った。ぼくにとって最後のダンゴムシ、その帰りにPさんと2人になるとはなかなかドラマチックじゃないか、と勝手に思いながら、途中の駅で別れ、家路についた。

 

かれこれ21回参加してきたダンゴムシを卒業した。全部で何人と会ってきたのだろうか。40人くらいだろうか。すべていい人たちだった。みんなのおかげで、人と関わることの楽しさを思い出すことができた。人と関わるのがこわくてたまらなくて、とにかく「ひとりで生きていきたい」と思っていたころがウソのようだ。

 

あさってからはついに社会人生活がスタートする。今度はまた新しい人間関係がはじまる。たくさん不安はある。けど、ダンゴムシでいろんな人と関わってきた自分、そしてダンゴムシを起ち上げて運営してきた自分。そんな自分に自信をもってがんばりたい。それに、ぼくは昔から人間関係には恵まれているので、きっとつぎもいい人たちに囲まれるはずだ。

 

ありがとう、ダンゴムシのみんな。

就職が決まった

去年10月からはじめた仕事を3月いっぱいで辞め、4月から新しい仕事に就くことになった。いままでは派遣として週3日働いていたけど、4月からは契約社員としてフルタイムで働く。問題がなければ3か月後に正社員として雇ってもらうということになっている。

 

期待と不安が半々、いやちょっと不安のほうがやや大きいか、というのがいまの心境だ。これでひとり暮らしが実現できるぞ、ほしいものが買えるぞ、社会人の仲間入りができるぞ、といううれしさ。ちゃんとやっていけるだろうか、クビにならないだろうか、という不安。それぞれ感じている。

 

せっかくのチャンスなので一生懸命がんばろうと思う。社会人経験もゼロ、仕事のスキルもゼロ。それを受け入れたうえで、いろんなことを吸収していきたい。いいことも悪いこともあるだろうけど、「いまよりよくなろう」とする姿勢だけは崩さずにいようと思う。

 

がんばります。

はじめてしっかりお金を稼いで思ったこと

去年の10月から派遣として働きはじめた。1日4時間で、それを週3日。だいたい月に50時間弱くらい働くという生活を半年続けた。それによってもちろんお給料をもらうことができたのだけど、こうやってしっかり長期で働くのは僕にとって今回がはじめてだった。

 

いままでは日雇いの派遣バイトしかやったことがなく、「1日だけ働く」というのを繰り返していくらかのお給料をもらっていた。月々の収入はまちまちで、多いときで4万円、少なくて(というかなにもしないと)0円。いつもお財布はぎりぎりで、貯金なんてまったくなかった。

 

いままでお金に余裕がある、という状態を経験したことがほとんどなかった。いつもいつも1円でもいいから節約しなきゃと思っていた。「買わないのが一番安上がり」と考えて、なにかが安売りされてても我慢して買わなかったり。友だちたちとコンビニに寄っても、自分だけなにも買わなかったり。

 

でもいまはようやく安定して収入を得られるようになった。そんなに多くはないけれど、いままでと比べたらものすごく大金を持っているような感覚だ。けど調子に乗って使いすぎないように、毎月自由に使える自分のお小遣いの額を決めて、それ以外はすべて貯金することにしている。

 

で、ある程度自由にお金を使えるようになってうれしかったのは、コンビニで買い物ができるようになったこと。いままでももちろんコンビニを使ったことは何度もあるけど、でもあまり使わないようにしていた。コンビニはどこにでもあっていつでもやってるから便利だけど、売ってるものはあんまり安くない。というか僕からしたら高い。だったらちょっと歩いて安いスーパーに行って買ったほうがいい、と思っていた。

 

ところが最近は、仕事帰りにファミマに寄って夜食を買って食べるのにハマっている。ちょうど最近、駅から自宅までの帰り道にファミマができたので、仕事帰りにはたいてい寄ってなにかを買っている。こないだはじめてプレミアムチキンとやらを食べて感動したし、ずっと食べてみたかったベビースターラーメンみたいのが入ってるサラダを食べてひとりではしゃいでいた。

 

そんな感じで、いままで「高い」と感じて買えなかったものも買って楽しめるようになったことがすごくうれしかった。お金がないころは「どうしてお金がないとなにもできない社会なんだー」と嘆いていたけど、ある程度お金を手にしたら、いったんそんなことを忘れていろいろ楽しんでいる。たまに思い出して世知辛いなあ、なんて思ったりするけど。

 

そういえば、23日にはついにはじめて横浜スタジアムにベイスターズの試合を観に行ってくる。これも自分でチケットを買えるようになったから実現したことだ。はじめての横浜スタジアム、はじめてのひとり野球観戦なのでいろいろ不安もあるけど、楽しんで来ようと思う。

 

あたりまえのことだけど、お金があると自分の欲しいものを手に入れることができる。最近になってやっと、それができるようになったのでとてもうれしかったし、いろいろと楽しんでいるという話。さらにいうと、そう感じられたからこそ、これからも働こう、と思えるようになった。

生きづらさから抜け出すためのヒント

パワプロという野球ゲームがある。

 

あのゲームではひとりひとりの選手に能力値が設定されている。たとえば、横浜DeNAの筒香選手の能力は以下のように設定されている。(まちがっているかもしれない)

 

  • ミート:B
  • パワー:A
  • 走力 :D
  • 肩力 :D
  • 守備力:D
  • 捕球 :D

 

それぞれの項目ごとにアルファベットで能力が設定されていて、Sが最高で、つづいてA、B、C、D、E、F、Gと順番になっている。筒香選手の場合だとパワーがAなのでとてもパワーのある選手だと分かる。

 

さらにこの能力のほかに、試合をするときに重要になるものとして「調子」という項目もある。それはその選手のいまの調子を示すもので、「絶好調」「好調」「普通」「不調」「絶不調」の5段階で示される。たとえば筒香選手が絶好調の状態で試合に出れば、さっきの能力よりもアップした状態になるし、絶不調であれば能力が下がってしまう。調子によって本来の能力を発揮できるかどうかが変わってくるのだ。

 

なぜこんな話をしたのかと言うと、このパワプロの「能力」と「調子」の関係が生きづらさから抜け出すためのヒントになるような気がしたからだ。ただ好きな野球の話がしたかっただけではない。ちゃんと生きづらさと関連した話がしたかったのだ。

 

なにが言いたいのかというと、以前、ぼくが「自分の性格をなんとかしたい」と悩んで、うまくいかず苦しんでいたころはパワプロでいう「能力」を上げようとしていた。自分のミート力を上げたい、走力を上げたいと悩んでいた。たしかに僕の人間としての能力はだいぶ低い。だから能力を上げようとするのは当然だったかもしれない。けど当時のぼくは調子が「絶不調」だったはずだ。精神を病んでいたし、とても絶好調な状態とは言えなかった。

 

能力も低い、おまけに絶不調。そんな状態の人間が人生うまくいくわけがない。パワプロでいえば、試合で活躍どころか、試合にすら出れないだろう。絶不調であれば練習をしても能力が伸びにくいだろうし、ケガをする可能性も高くなる。とにかく「絶不調」はなにをやってもよくならない状態なのだ。

 

と考えれば、まずやるべきなのは「能力」を上げることではなく、「調子」を上げることだ。絶不調から絶好調にするとまではいかなくても、とりあえず「普通」にするのが先決だ。能力を上げようとするのは絶不調状態を抜け出してからのほうがいろいろと効率がいいのだ。

 

去年の8月ごろ、ぼくはニートであることへの焦りをいったん忘れて、好きなことを思いっきり楽しむことにした。ちょうどオリンピックがはじまったし、プロ野球も盛り上がっていた時期だし、高校野球もはじまった。自分が楽しい気分になれるものがたくさんあったので、それらをめいっぱい楽しむことにした。

 

それから生活習慣も良くするように意識しはじめた。よく寝ること、しっかり食べること、などをとくに意識した。そうしていたら、いつのまにか元気になっていて、生きづらさを感じることを忘れていた。そして9月には「よし、はたらこう」という気分になり、10月からはたらきはじめることができた。

 

自己嫌悪におちいっているときは、いますぐに「能力」を上げようと焦ってしまう。そしてさらに自己嫌悪におちいって悪循環がはじまり、だんだん病んできて「調子」が下がってしまう。そうなってしまったら、遠回りのように感じてしまうけど、いったん「能力」をあげようとするのをやめて、「調子」を回復させることに専念したほうがいい。結局そっちのほうが近道だったりする。

 

自分が楽しい気分になるのはどんなときか、なにをしたらポジティブになれるかをつねに探しながら、なるべく自分が「好調」をキープできるように日々、こころと身体のコンディションを整えることが大事だと思う。

【結果発表】病気でも障害でもない生きづらさ

先週からはじめたアンケートの結果が出た。全部で55件の回答が集まった。回答してくださった方々ありがとうございました。

 

さっそく結果を公開。どどん。

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自由に記述していただいた「その他」の回答はこちら。

  • 身体醜形症
  • 周り人間が、言葉のきつい人ばかりだと思う。
  • 人見知り
  • 躁鬱病
  • 恋愛依存、ネット依存
  • 家族の考えと自分の考え方だけが合わない。病むと入院するほど食事がとれなくなる。

 

ダンゴムシの会をやっていても感じることだけど、こうしてアンケートを取ってみても、ほんとうにいろんな形で生きづらさを感じている人がいるんだな、と。ぼくが感じてきた「自己嫌悪感」や「人見知り・コミュ障」で悩んでいる人が多い一方で、少数ではあるけども「統合失調症」や「パニック障害」など、日常でいろいろと苦労が多いであろう障害を抱えている方もいるよう。

 

上の一覧だとちょっとわかりづらいので、とくにチェックの多かった項目を順番に並べてみた。

  • 人見知り、コミュ障 63.6%
  • まじめ系クズ 63.6%
  • 自己嫌悪感、自己否定感 54.5%
  • 完璧主義 49.1%
  • 働きたくない 45.5%
  • 虚無感 41.8%
  • 毒親 41.8%
  • アダルトチルドレン 40%

 

こうしてみると上位5つくらいは、まさに僕の生きづらさと重なるので、僕みたいな方がたくさんいるんだなと。みんな友だちになれそうだなと思った。お互い人見知りなのでまともに会話できない可能性が高いけども。

 

思ったのは、「うつ病」や「パニック障害」「発達障害」など、病気や障害によって生きづらさを感じている人が比較的少なくて、多いのは「自分の性格」について悩みすぎてしんどくなっている人だということ。

 

僕がしんどかった時期、とにかくクズな自分をどうにかしたくて日夜悩んでいた。いろんな障害を疑ったりもした。発達障害なんじゃないか、パーソナリティ障害なんじゃないか、と。こんなことを言ってはいけないかもしれないけど、むしろ病気や障害だと分かったほうが気持ちが楽になるのに、と思ったこともある。そうすれば、自分がクズなのは自分の努力不足ではなく、病気や障害のせいなんだと言い訳できるからだ。そんな風に考えてしまう自分はやっぱりクズだ、とまたへこんでしまうのだけど。

 

病気でもないし、障害を持っているわけでもない。だけどつらい。そういう状態にある人がたくさんいるんだろうと思う。病気や障害を持っている人も当然しんどいだろうが、グレーゾーンな人もけっこうつらい。まず自分のなにがどう悪いのか把握するのが難しい。そして仮に分析できたとしても、どうやって治せばいいのかもわからない。病院やカウンセリングに行くのも自重してしまう。そしてひとりで堂々巡りをくりかえす毎日で、気が滅入るばかり。

 

おかげさまでいま僕はだいぶ元気なのだけど、18歳のときに生きづらさを感じはじめてから5年経ってやっと元気になれた。時間が経てば解決するものでもないけど、ある程度時間をかけないとメンタルは浮上してこないので、いましんどい人は気長に待っていたほうがいいと思う。つらいときほど「はやくなんとかしたい」と焦ってどんどん悪循環に陥るので、そういうときほど悩むのを一時停止して、食べて、好きなことやって、ゆっくり寝たほうがいい。なんてえらそうに指南できる立場でもないのだけど。

 

ま、とにかく。改めて、協力していただいた方々ありがとうございました。7割くらい適当に生きて、3割くらいがんばりながら生きていきましょう。

 

ちなみに、まじめ系クズで悩んでいる方にはこちらのブログがおすすめです。まじめ系クズの改善・克服法がとても具体的に書かれています。僕も行き詰ったときは読んで参考にしています。

まじめ系クズの日常

プライドを捨てたら人生を楽しめるようになるかも

ちょいと旅行に行ってきまして。こないだから「ひとり旅に行きたい」と言っていたけど、今回はそのひとり旅ではなく家族旅行でして。都合よく平日にみんなの予定が空いたのでぱーっと行ってきた。母と弟たちと4人で。

 

で、うちの家族はみんなひきこもり気質で、口数も少ないし、感情も表に出さないタイプなので、旅行に行ってもあまりエンジョイできない。心のなかではそれなりに「楽しい」「おいしい」「すごい」と感じているのかもしれないけど、それを口に出してみんなで共有するということはほとんどない。はたから見れば、葬式帰りのような旅行客に見えただろう。

 

ただぼくは今回わりと、ひとりで感想を口に出していた。「すげー!」とか「これうまいな!!」とか。せっかく母が連れてきてくれたので、楽しんでいるということを伝えたかったというのもあるし、ほんとうにそう感じていたので、思ったことはなるべく口に出すようにした。

 

むかしはそういうことを口に出すのはプライドが許せなくて言えなかった。「すごい」とか「かわいい」とか「おいしい」「楽しい」「かっこいい」とか、そういう感想を言うのは恥ずかしかった。たとえばディズニーランドに行ってパレードとかを見ても、「へっ、なにがパレードだよ」と突っぱねるような人間だった。

 

けどここ数年で、そういうプライドを捨てた。言い方が悪いかもしれないけど、プライドを捨ててちょっとバカになったほうが人生を楽しめるということに気づいたからだ。いわゆるリア充とか、女子高生や女子大生など、ああいう人たちは人生を楽しむのが上手な人たちだと思うのだけど、彼らや彼女らは「かわいいー!」とか「おいしいー!」とかひとつひとつのことに感想を言う。プライドを捨てて、そういう部分をマネしてみるとなかなか楽しめることがわかったのだ。

 

まえは、人生はもっと高尚なものだと思っていて、ちょっとしたことでわーきゃー言っている人たちを見下しているようなところがあったのだけど、いまはその考えが変わった。プライドを捨ててささいなことに感激したり、感動したり、感嘆することが人生を楽しむコツなんだろうと思うようになった。

 

ただ、むかしは何にたいしても感想を持てなかった。自分がこれをすごいと思うのか、おいしいと思うのか、自分でもよくわからなかった。女子がよくいう「かわいい」に関してはとくによくわからなかった。でもとにかく最初のうちは、思ってなくてもいいからことあるごとに「すげー」とか「うまい」とか「かわいー」とか口に出すようにしていったら、だんだん自分のなかで感想を持てるようになってきた。

 

そうやっていくうちにプライドが捨てられて、おいしいごはんを食べたときに「うまい!」と思えるようになるし、きれいな景色を見たときに「すげー!」と感動できるようになる。

 

まあいまだに、女子が言う「かわいい」には共感できないことが多いんだけども。

 

以上、プライドを捨てたら人生を楽しめるようになるかも、という話。

 

 


今月のダンゴムシの会、参加者募集中です。今月参加すれば、もれなく今回の旅行のお土産を配りますよ!

【告知】2月開催のお知らせ(2017/2/26) - 石の裏のダンゴムシ

 

あとアンケートをやっています。あしたの12時くらいで締めきろうと思っていますのでご協力お願いします。現在52名くらいが回答してくださっています。

【アンケート】みんなの生きづらさを教えてください - 生きづらいふ

【アンケート】みんなの生きづらさを教えてください

ふと思いついたのでアンケートをさせてください。

 

このブログを見ているということはなにかしらの生きづらさを感じていたり、ぼくが感じていた生きづらさに共感をしてくれたのだと思うのだけど、そんなあなたの生きづらさはどんなものですか?

 

下にアンケートフォームが貼りつけてあるのでポチポチっとしてください。生きづらさの内容をおもいつくかぎり羅列したので、すこしでも当てはまるなと思うものすべてにチェックしてください。たとえば、べつに医者に「うつ病」と診断されたわけではないけど、自分でうつっぽい状態に悩んでいるという自覚があれば「うつ」にチェックをしてください。選択肢以外でなにかあれば、一番下の「その他」に自由に記述してください。

 

今日から1週間やります。来週の土曜か日曜に結果を公開しようと思います。匿名なのでご安心を。よろしくお願いします。

 

 


ついでに宣伝も。

今月のダンゴムシの会の告知が出ました。すでに僕は運営から完全に手を引いて、いまは新しい運営チームがいろいろやってくれています。今月も僕はひとりの参加者として参加します。いろんな人とお話できたらと思っております。気になる方はぜひどうぞ。

【告知】2月開催のお知らせ(2017/2/26) - 石の裏のダンゴムシ

よく売れている本5冊

このブログでちらほら本を紹介したり、記事と関連していそうな本のリンクを張ったりしてきた。そのなかからとくに売れている本5冊をまとめておく。

 

5位 『毒になる親』

じつはいまだに読んだことのない本。毒親やアダルトチルドレンで悩んでいる人がまず読むべき本というイメージがあるので、その辺で困っている人は読んでみるといいのかもしれない。

Amazon毒になる親

 

4位 『「人見知り」は案外うまくいく』

ブックオフで100円で買って、まさに「案外」よかった本。人見知りを治そうというより、人見知りを活かそうという内容で、勇気をもらえた。僕がいままで読んだ本のなかでも、「これは読んでよかった」と思える一冊。

書評:「人見知り」を克服する必要はない『「人見知り」は案外うまくいく』を読んで

Amazon「人見知り」は案外うまくいく

 

3位 『ナリワイをつくる』

だいぶ前に読んだのであまり覚えていないんだけど、ひとついまだに覚えていることがあって、「バトルタイプな生き方をしない」という話が書かれていたこと。就職でもなく起業でもなく、ナリワイを身につけて生きようという主旨の本なのだけど、就職や起業はつねに誰かと競争をしなくてはいけない「バトルタイプ」な生き方だと言っていて、そうではない生き方を提示してくれた本だった。

言及:「やりたくないことから逃げたらダメ」はしんどい

Amazonナリワイをつくる

 

2位 『覚えるだけの勉強をやめれば劇的に頭がよくなる』

これもじつは読んだことのない本。本屋で何回か手には取ったんだけど、結局買っていない。僕は学生時代、成績は悪くないほうで、自分でも頭がいいほうなんだろうって自覚していた。けど大学生のときに、自分はいままで知識を覚えてきただけで、頭の使い方自体はへたくそだと気づいた。それで、ほんとうに賢くなるためにどうしたらいいかと考えてこの本に目を付けたのだ。結局読まなかったけど。

言及:人生を変えるには覚えるだけの勉強をやめて、自分の世界を広げる勉強をしよう

言及:知識を知っているだけの物知り屋さんから、頭の切れる賢い人になるための勉強法

Amazon覚えるだけの勉強をやめれば劇的に頭がよくなる

 

1位 『不幸にする親』

僕がかなりしんどかった時期に読んで、一筋の光をあたえてくれた1冊。5位に挙げた『毒になる親』の続編というか、より具体的に解決法を示した本になっていて、この本に書かれている毒親から精神的に自立するステップを自分のノートに書き写した記憶がある。毒親やACで困っている人は『毒になる親』とセットで読むといいんじゃないだろうか。

言及:人生に絶望していた僕を救ったことば

Amazon不幸にする親

 

こうして本を紹介したけど、最近はてんで本を読まなくなった。病んでいたときは現状から脱するために本に頼っていたのだけど、いまはよくもわるくも平和なので、その貪欲さがなくなってしまった。病まないことはいいことなのだけど、なんだかちょっとさびしい気もしている。

 

どちらにせよ、過去に読んだ本から影響を受けたことはたくさんあるので、たくさん本を読んでおいてよかったと思っている。

行ってよかったところ

3月までにどこかにひとり旅に行きたいなーと思っていて、いまどこがいいかいろいろ考えている。どこがいいか考えていたら、いままで行ったいろいろな場所を思い出して、「ああ、あそこよかったな」とか「あそこまた行きたいな」とか思って楽しくなったので、まとめておこうかと。ふつうの旅行から、学生時代の修学旅行も含めて、いままで行った場所でよかったところをランキング形式で。

 

5位 京都

中3のときに行った修学旅行で。おなじような形の銅像が死ぬほどたくさん並んでいる三十三間堂に行ったときに、子どもながらに感動した記憶がある。わりと銅像とかをじーっと見ているのが好きで、よくわからないけど気持ちが落ち着いたりする。それから、清水寺に行って教科書で見たあの景色を見たときの感動よ。それと、蕎麦屋に行ったときに女性店員の京都弁にキュンと来た想い出。

 

4位 熊本

去年の震災が起こった1ヶ月前に行った。ついこないだ見てきた熊本城が壊れてしまったと聞いてショックだった。熊本には市電という路面電車が走っていて、ふつうに道路のまんなかを電車が走っている。たしか料金が均一でどこまで乗っても170円でとても便利だった。電車に乗っているのに、すぐ横を車が走っているという景色がおもしろかった。いろんな店に行ってラーメンを食べ比べしたりして楽しかった。

 

3位 台湾

はじめての海外旅行。いっしょに行った人が中国語ができるうえに、台湾に留学した経験があったので、なにからなにまで案内してもらった。着いてすぐは、台湾の独特のにおいに慣れなかったけど、半日もすれば慣れた。食べ物や景色などすべて楽しめた。学生のうちに海外旅行を経験できてよかった。このブログにも金銭面でのレポートを書いた。(3泊4日台北の旅が7万円!貧乏大学生でも台湾に行けた

 

2位 金沢

金沢はかなりお気に入りの街だ。ほどよく発展し、ほどよく田舎な街で。小ぎれいで、コンパクトで、おしゃれな感じがとても好きだった。兼六園21世紀美術館もよかったし、ハントンライスやカレーもおいしかった。深夜バスで行ったのだけど、思ったより辛くなくて、むしろあのバスに揺られながら暗闇のなかを過ごす時間が楽しかった。消灯中はスマホを見ると迷惑になってしまうので、自然と考え事をしていたのだけど、いつもより思考がすっきりしたというか。電車やバスに揺られている時間が好きなのかもしれない。

 

1位 伊豆大島

金沢と迷ったのだけど、行くまえの期待値を大きく上回ったので伊豆大島が1位に。正直行くまえはそんなに乗り気じゃなかったのだけど、行ってみたらすごかった。浜松町から出ているフェリーに乗って数時間で着く。山も海もあって自然がすごい。「月と砂漠ライン」という場所があるのだけど、そこの景色がとんでもなかった。火星かなんかに来たような景色で圧倒された。食べ物もいろいろ食べたし、温泉も入ったし、漫喫できた。人口も少なく、信号も少ない場所で、東京とはいろいろちがった。夕方になると店がだいたい閉まってしまって、さいしょは不便だなと思ったけど、東京に帰ったときに21時とか22時でもバンバン店がやってて「東京やばいな」と思うようになった。当時は伊豆大島とは書かなかったけど、感想記事を書いた。(とある島に旅行してきて感じたこと

 

行ったことのない場所に行くのがわりと好きみたいで、家の近所であったとしても、歩いたことのないところを歩くと楽しくなる。自分がなにをしたときに楽しくなるかを考えたときに、映画鑑賞とか野球観戦とかいろいろあるけど、旅行も上位に入ってくるなと気づいて、これからもいろんなところに行こうと思った。まだひとりで遠出をしたことがないので、とりあえずひとり旅に行きたい。気軽に都内でもいいなと思ってるし、ちょっと足を伸ばして長野県の松本あたりもいいなと思っている。

 

ことりっぷ 小笠原 伊豆大島・八丈島 (旅行ガイド)

ことりっぷ 小笠原 伊豆大島・八丈島 (旅行ガイド)

 

ちょっと早い今月のふりかえり

まだ数日あるけど今月をふりかえる。

 

お正月は数年ぶりに家で過ごした。年越しの瞬間はジャニーズカウントダウンを見ながら軽くジャンプしておいた。大晦日に梅酒を呑んだらやたら酔ってしまって、頭が痛くなり気分も悪くなってしまって、ベストコンディションではない状態で2017年を迎えた。

 

1日と2日は家族と出かけたりして、ひさしぶりに家族といい雰囲気で過ごせたのでよかった。3日はダンゴムシの人たちと新年会的なことをした。今年はさびしい年末年始になるかなと思っていたけど、わりと充実していた。4日はひとりで初詣に出かけた。おみくじの結果が「吉」だったのだけど、書いてある内容が大吉なみだったので上機嫌で帰宅した。

 

ただそれからはメンタル的に不調な日々が続いた。なにが原因かわからないんだけど、ちっちゃなことがストレスに感じられてしまって、動悸はするわ、胸のあたりがもやもやするわ、でちょっとしんどかった。ツイッターがストレス源だったりするのかなと思って、スマホからアプリを消した。でもなんだかんだ気になってしまうので、ブラウザからちょこちょこ見たり、つぶやいたりしている。

 

仕事はよくもわるくも変わらずといった感じ。とりあえず12月までの契約だったのだけど、さらに更新させていただいて3月まで働くことになり、去年とおなじく週3回通っている。コミュニケーションが最小限ですむので、メンタルを消耗することがほとんどないのがありがたい。いまの仕事は3月で辞めて、4月から新しい仕事に就きたいと考えているのでぼちぼち動き出さなくてはいけない。

 

今月は22日にダンゴムシをやった。感想記事は前回書いたのでとくに書かないが、変な気負いとかもなく手放しで人との交流を楽しめてよかった。話疲れて身体はすごくぐったりしてしまったけど、心は元気になったのでよかった。新しく運営をすることになった人たちが自分の役割を持ったとたん、前より輝きだしたような気がして「交代してよかったな」と思えたし、はじめて参加した人たちがツイッターで「参加してよかった」という旨のツイートをしていてうれしかった。

 

そんな人との交流もあって、1月の後半はだいぶ調子を上げてきた。さらに、昨日ひさしぶりに野球関連の動画をYoutubeで見てひとりで興奮していたら、かなり元気になった。やっぱり好きなことに触れているときがいちばん元気になれると再確認した。2月1日からプロ野球のキャンプが始まるので待ち遠しい。

 

あ、それから。こないだひまだったのでひとりで映画館に行った。映画館に行くこと自体あまりしないうえに、ひとりで行くのははじめてだったので新鮮でとても楽しかった。電車で3~4駅のすこし大きな街に行ったので、ついでにお買い物もしてきた。あの日はだいぶいい休日だった。ちなみに観た映画は『ファンタビ』で、とてもおもしろかった。

 

そんな感じで今月はあまりいい印象はなかったのだけど、こうしてふりかえってみると随所に「いいこと」もあって、そんなに悪くなかったような気もしてきた。各所で「生きづらさがなくなってきた」と言っているけど、完全にはなくなっていないし、実際今月はけっこう苦しめられた。でも「ここまでがんばって生きてきたんだ」というプライドがあるので、どん底まで落ちていくような心配はない。気分が落ちてきても顔だけは上を向いているような感じ。

 

今月は自分のメンタルの調整に四苦八苦したので、環境や状況の変化がなかった。「ひとり暮らし」という目標に向かってあまり前進できなかったことがちょっと残念。でもまず自分のメンタルが「さあやろう」という状態にならないと何事も動いていかないのでしかたないかな、と。でもそろそろなにか精力的に行動を起こしたいという気持ちもあるので、ぼちぼちやっていきたい。

 

来月はどこか近場でいいからちょっとしたひとり旅に行きたい。

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