生きづらいふ

人生をクリアに、シンプルに、さわやかに。

最近考えたことのまとめ

ここ最近考えていることについて、いくつかまとめてみようと思う。自分の思考の整理のためにも。

 

正解がない世界

働きはじめて痛感したことは「正解がない」ということ。それが学生と社会人のちがうところのひとつかもしれない。学生時代の勉強には基本的に正解がある。正解をそのままインプットして、テストのときにアウトプットすればなんとかなった。本来はもっと自分の頭でいろいろ思考するべきなんだろうけど、そうしなくてもなんとかなってしまった。少なくともぼくはそうしてきた。ただ正解を覚えるだけ。

 

しかし、働く場面には正解がない。ある場面もあるけど、ない場面が多い。とくにベンチャーは。どうするのがよいか自分で考え、とりあえずやってみる、ちがったら修正する。そういう世界だ。そこのギャップにだいぶ苦しんでいる。ぼくは正解がないとなにもできない。とにかく正解がほしい。こういうときはどうするのが正解なんだ?といちいち聞きたくなってしまう。

 

しかしそんな正解はないし、マニュアルもないので、自分でなんとかするしかない。もちろん要所要所、先輩に聞くことはできるし教えてもくれる。けどいくら質問しても、分からないことは尽きない。いっこうに先に進めない迷路にいるような気分だ。だから、どうせ迷路にいるのだからわからなくてもいいから、とりあえず適当に検討をつけて進んでみる、という姿勢で臨むのが吉なんだろう。

 

まちがっているんじゃないか、という不安

上の話とリンクするところもあるが、仕事しているときは「いま自分はまちがったことをしているんじゃないか」という不安がつねにある。これは仕事以外の場面でもよくある不安だ。未経験のことをするときにはいつも感じる。

 

たとえば、はじめて行くお店で、その店のシステムがよくわからないとき。自分がその店にそぐわないことをしてしまうんじゃないかと不安になるので、そもそもシステムがよくわからない店には入れない。だから飲食店とかはチェーン店にしか入れない、ひとりでは。

 

コミュニケーションが仕事

およそ3か月働いてようやく気づいてきた。ぼくがやっている営業事務の仕事のメインはコミュニケーションを取ることだと。基本的に事務が単体で会社の利益を上げることはなく、みんなの仕事がスムーズにいくようにサポートしている。取引先との契約がどうとか、請求がどうとか、その他いろいろ。

 

みんなのサポートをするためには、そのひとたちとコミュニケーションを取る必要がある。状況を確認したりして、なにをする必要があるのか把握しなくてはいけない。状況を確認すると言っても、正直なにを確認しなくちゃいけないのかもよくわからないままコミュニケーションを取っているので、結果ちぐはぐな会話になってしまったりしている。コミュ障にはなかなかしんどい。

 

人生経験のうすさ

入社以来、先輩社員さんたちと飲みに行ったり、お昼ごはんを食べに行ったりする機会が何度かあった。そこでいろんな話を聞くのだけど、破天荒な話とかがたくさんあっていつも圧倒される。大人ってこういう世界なのか!とか、生きてる世界がちがう!と呆気にとられる。

 

いままでおとなしく生きてきた自分の経験値の少なさを痛感する。遊園地でいうと、先輩たちはありとあらゆるアトラクションに乗って満喫しているのに、ぼくはずっとメリーゴーランドだけに乗っているような感じだ。自分とは関係のない世界だ、と決めつけてジェットコースターには乗らずにここまで生きてきたような。

 

べつにひとの人生のマネをする必要はないけど、でもこんなのでいいのかなあとも思う。もっといろんなことを経験したほうがいいんじゃないか?と。でも、でもやっぱりぼくはおだやかにメリーゴーランドに乗ってればそれでいいんだ、と平穏を求める気持ちもあり。刺激とかいらないから平穏無事な人生をください、と思ってしまう。

 

時間のつかいかた

1年前はニートだったので、時間が有り余っていた。時間のつかいかたで悩むことなんかなかった。いま思えばとてつもなくのんきだった。最近は、自由な時間をどう使うか、どう使えば心身ともにリフレッシュできるか、と考えるようになった。

 

平日のしんどいときに、「週末は映画でも観に行こうか」とか「近所のおふろの王様でも行ってみようか」とかいろいろ計画を立ててわくわくするのだけど、いざ週末になったらめんどくさくなって、結局どこにも行かない。そして日曜の夜に絶望する、というのをもう11週くりかえしている。まだこのサイクルの生活に慣れてきていないから、しかたないのかな、と半ばあきらめはじめている。

 

ひとり暮らしについて

そもそもひとり暮らしをはじめることが目標で、そのために働きはじめたのだった。もともと、入社して半年くらいはいまの実家から通い、慣れてきたところでひとり暮らしをはじめようという算段で、年内に引っ越せればいいかな、というくらいの感覚だった。

 

しかしいまのところ、働きながら生活を成立させるのはとてもじゃないけどしんどそうだ。まず自炊する気力がわかないと思う。そして洗濯・掃除のたぐいは土日にまとめてやるだろう。現時点ですでに自分の部屋そうじを土日にまとめてやっている。以前までは2~3日に一回そうじ機をかけていたのに。

 

それでも会社のちかくに引っ越すことでだいぶ時間的にメリットがあるので、やっぱりひとり暮らしはしたい。最近はネットで部屋をさがして、「ここに住んだら、○○時に出ても会社間に合うんだあ」と妄想してニヤニヤして楽しんでいる。朝ゆっくりできるのもうれしいけど、夜はやく帰れるほうがうれしい。とりあえずはもうしばらく実家で暮らすことになる。

 

以上、最近よく考えていることでした。

 


 

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2年前に起ち上げた「石の裏のダンゴムシの会」が今月も開催されます。生きづらさを感じている人が集まって語り合う会です。アダルトチルドレン、真面目系クズ、コミュ障、うつ、虚無感などさまざまな生きづらさを持ったひとたちが参加しています。いまはべつの方々に運営を任せているのでぼくは参加しませんが、ひとりでモヤモヤしている方ぜひどうぞ。くわしくは以下のブログをご覧ください。

【告知】6月開催のお知らせ(2017/6/25) - 石の裏のダンゴムシ

ねむいのでどうでもいいことをかいた

フルタイムで働きはじめてから、平日にブログを書くのははじめてだ。とくに書きたいことはないのだけど、すこし時間に余裕があるのと、気分が向いたのでなんとなくブログを書くことにした。

 

いまとてつもなく眠たい。今週は20時ちょい前に退社し、21時すぎに帰宅するというサイクルが続いている。帰宅したらシャワーを浴び、ごはんを食べる。するとだいたい22時半くらい。そこからようやくダラダラタイムがはじまる。しかしすこしダラダラしていたら23時すぎには眠気が襲ってくる。まさにいまだ。

 

昨日なんかはその眠気にあらがうことなく、いつのまにか眠ってしまっていた。寝落ちしてしまうと、寝ながらも意識の奥底で「ああPCの電源切らなきゃ」とか「スマホ充電してから寝なきゃ」とか考えてしまっているので、あまりいい睡眠が取れない。やっぱり、しっかりと自分の意思で眠りにつきたい。

 

昨日や今朝はちょっと肌寒かった。もしかしてまだ風邪を引きずっているのか?と不安になったりもしたけど、みんなも「寒い寒い」と言っていたので自分だけではなかったんだと安心した。あしたはどうなんだろうか。

 

今週もあと2日。だいぶ希望が見えてきた。あと2日行けば週末だ。もちろん週末は待ち遠しいけど、いざ週末になると「どうせまたすぐに月曜日が来るんだ...」と絶望して、むなしくなるときもある。

 

なるべく週末に楽しい用事を入れようと思って、映画館にでも行こうか、とかスーパー銭湯にでも行こうか、とかいろいろ思案している。家でダラダラするのも大好きだけど、毎週それだとやるせなくなるので、なにかしら予定を入れようと思っている。ひとりの時間を楽しく過ごせるような予定を。

 

眠い。やっぱり眠い。あしたもぼくは会社へ行く。会社では毎日分からないことだらけで、全然使えない存在だ。そんな自分を責めたりして「つらいなあ」と思うことも多々あるけど、そんな思考ばっかりだと会社に行くのがつらくなるので、ハードルをぐぐぐっと下げて、会社に行っているだけでよし、とすることにした。

 

眠い、限界だ。このまま眠ってしまったらあしたが来てしまう。けど眠らずにあしたを迎えるのはもっとつらいので早く寝たい。いつもならもうすこし中身を推敲しながらブログを書くのだけど、今日に関してはとてつもなく適当だ。めちゃくちゃどうでもいいことしか書いていない気がする。

 

ま、たまにはこんなブログもいいよね、ということで。おやすみなさい。

24歳になりました

24歳になった。まだ四捨五入しても20歳でいられるギリギリの年齢だ。

 

24歳についていろいろ語るまえに、まずは軽く近況を。

 

まずは、めちゃめちゃ体調を崩した。結果的に会社を3日間お休みした。先週の土曜日の夜、布団に入った瞬間にとてつもない悪寒がして「あ、風邪ひいた」と思って、あたたかくして一晩寝たのだけど、翌朝も寒気がとんでもなくて。熱を測ると39度台。これはやばいということでとりあえずひたすら寝た。あたたかくして寝た。

 

結局、日曜と月曜はずっと39度の熱が続いた。症状は熱と頭痛だけ。鼻や喉はなんともなく。とにかくだるいので食事をする気もおきず、ろくに食べられなかった。火曜の朝にようやく37度台まで下がり、だいぶ元気になったのでいったん会社に行こうとするもやっぱりつらいのでお休みすることに。今日は大事をとって休んで明日から復帰しようと。

 

そして日中、軽く寝て起きてみたらイヤな予感が。熱を測ってみるとまた38度台まで上がっている。そういえばこのあたりから胃も痛くなってきていた。いよいよ病院へ行くことに。 インフルエンザの検査をしてもらうもどうやらちがうらしい。よくわからんけどとりあえず薬を出してもらう。それから抗生剤を食後にきっちり飲むように。

 

この日の夜(火曜)がとにかくしんどかった。日中寝ているせいでまったく眠くない。おまけに高熱でうなされるし、2時間に1回くらい胃が痛くなってトイレに行くし。はやく朝になってごはん食べて薬を飲みたい一心だった。けどまったく時間が進まないという地獄。こんなところで逆浦島現象を体験するとは。

 

ようやく水曜の朝を迎えて、薬を飲んで安静に。お昼を食べて薬を飲んで安静に。するとじわじわ回復してきて、夜には37度台まで熱が下がった。食事もだいぶできるようになった。その夜はぐっすり寝ることができて翌朝には平熱まで下がっていた。何日ぶりの平熱だろうか、恋しかった平熱。まだふらふらするけど、とりあえず出社。ふらふらしながらなんとか仕事した。いま思えばよく会社行ったと思う。

 

そんな感じでいまに至る。熱はもう下がっていて問題ないのだけど、いまだに頭がくらくらする感じがある。貧血かなにかなのか、今回のをまだ引きずっているのかよくわからないが、とりあえずまあまあ元気だ。あまり万全ではない状態で迎えた誕生日。これも悪くはない。

 

あと木曜と金曜に働いていて感じたのだけど、自覚がないうちにものすごいストレスとプレッシャーを溜めているのかもしれない。高校生のときに部長をやっていて、いろんなことをひとりで背負いこみ過ぎて爆発したことがあったのだけど、そのときの感覚に似ていてちょっとやばいなと思った。手足がびりびりしびれるような感覚があった。もしかして高熱もストレスが影響していたのか?とちょっと思ったり。月曜以降、ちょっと気にしながら働きたい。

 

近況報告が長くなった。本題は誕生日だ。

 

24歳。いったん自分に、ここまでお疲れ、って言いたい。それだけ。

 

あ、ついでに6/7にこのブログとえんぴつメガネが3歳になったのでそちらもご報告を。なんやかんや3年も続けてしまった。もはやこのブログがなければ僕は生きていけなくなった。いまの人間関係はすべてこのブログから発生しているので、ほんとうにブログと読者に感謝だ。ありがとうございます。

 

何度も辞めようと考えたけど、いまは辞める気はないのでとりあえず続けていこうと思っている。更新頻度はいまのような状態が続いてしまうと思うけど、逐一、生存報告をしていきたい。生きづらさについて書くことが減っているので「生きづらいふ」というタイトルだけでも変えたいと思ったのだけど、我ながらナイスなネーミングなのと、けっこう愛着があるのでこのままでいいかなと思いはじめている。

 

そんな感じで。24歳になりました。

ニートだったコミュ障が就職して2ヶ月経った

もう5月が終わろうとしている。はやい、ほんとうにはやい。

 

仕事のほうはだいぶ慣れてきた。いままでは、逐一上司に聞かないとなにもできなかったけど、少しずつ自分で判断できるようになってきた。数日前に5~6個の業務を引き受けることになった。ひとつひとつがそこまで大変なものではないのでたいしたことないのだけど、自分がしっかりやらないと周囲にも迷惑をかけるのでちょっとプレッシャーを感じている。

 

だけど自分で、優先順位や、どうやったら期日までに終わらせることができるか、を考えながら仕事をするのは案外楽しいということに気づいた。楽しいというか、ようやく自分が「仕事してる感」を感じられたというか。まだ全然会社の戦力にはなっていないけど、すこし社員としてステップアップできた気がしてうれしい。

 

それから、毎日いろんなことを覚えてきたけど、最初のうちはひとつひとつの知識がつながっていかなくてわけがわからなかった。全体像がどうなっているのかが分からなくてもやもやしていた。パズルのピースが少しずつそろっていくんだけど、完成図がわからないから、どう組み立てていいか分からないような状態だった。

 

だけど、やっと全体像が見えてきたような気がする。このピースをどこにはめていいのかまったくわからない、という状態から、「たぶんここにはめるんだろうなあ」と検討をつけることができるようになった。そのおかげで、仕事がやりやすくなってきた。

 

鬼門の電話対応に関しても、だいぶ成長してきた。アホみたいに噛むことはほとんどなくなったし、イレギュラーな電話にもある程度、自分で判断して対応できるようになってきた。取り次ぐだけの電話に関してはいつでもこい、という余裕すらある。ただ正直、できれば電話は取りたくない。でもいまは大事な仕事のひとつなのでやるしかない。

 

人間関係に関しても、周りの社員さんと軽い雑談ができる程度には打ち解けてきた。まえは笑ってリアクションを取るので精一杯だったのが、一言なにかを返せるようになってきた。たどたどしくて、話しかけてくれた社員さんに気まずい思いをさせてしまっているかもしれないけど、僕のなかでは目覚ましい成長だ。

 

そんな感じで少しずつ軌道に乗ってきたなあという感じだ。それでも「つらいなあ」と思う場面は多々ある。たくさんミスしたり、恥をかいたり。苦手なコミュニケーションをつねに取らなくてはいけなかったり。なかなかひとりになる時間がなかったり。それでも、なんとかすこしずつ適応してきている。

 

ときたま自分のダメっぷりを責めそうになるけど、1年前、自分がニートだったころを思えば、1000倍マシなので褒めることにしている。ここまで毎日めげずに会社に行っているだけで十分だ。他人と比べるのではなく、過去の自分と比べる。自己嫌悪しそうになったら、それを思い出すようにしている。

 

あしたからまた平日だ。もうすでに帰りたい。けどがんばろう。

コミュ障社会人の僕がいま苦労していること

フルタイムで働きはじめてから仕事について書くことが多くなっている。ほんとうはもうすこしいろんなことについて書いていきたいと思っているのだけど、どうしても頭のなかが仕事のことでいっぱいになっていて、それをここで吐き出しておかないとやっていけない気がするのだ。

 

最近、ツイッターでもちょこちょこと仕事についてつぶやいているのだけど、すこしずつネガティブな発言が増えてきている気がする。ネガティブなことを一度言ってしまうと、そのまま言葉に引きずられてずるずると仕事がつらくなってしまいそうなのであまり言いたくはないのだけど、少しずつ出てきてしまっている。

 

仕事は大変だ。それなりに苦労している。でもそれは僕が元ニートだからそう感じているのではなく、全国の新卒みんながそう感じているんだと思う。いまみんな同じように大変な思いをしながら仕事を覚えている最中なんだろう、と。そのなかでも僕は不器用でコミュ障だから、すこしばかり多く苦労を感じているんじゃないか、と自分では思っている。

 

なにが大変か。いまなにに苦労しているか。いろいろあるのだけど、あえてひとつに集約するならばそれは、「コミュニケーション」だ。仕事をする上でコミュニケーションは必ず発生するが、僕がやっている営業事務はとくにコミュニケーションが必要な仕事だ。

 

社員と連携を取ったり、いろんな連絡をしたり、電話対応をしたり。コミュ障にとってはつらい場面がたくさんある。まずそもそも社員さんとの打ち解け方が分からない。社員さんとある程度なかよくなることができれば、仕事も格段にやりやすくなる。なんだけど、目上の人、年上の人との話し方が分からなくて困っている。

 

気を遣いすぎてしまって、すごくかしこまった話し方になってしまう。どこまでフランクに?くだけた?話し方をしていいのか分からず、なにも話せなくなってしまう。なので簡単な雑談もろくにできず、社員さんとあまりなかよくなれていない。自分のメンタルの調子がいい日はすこしマシになるのだけど、ずっとは続かない。

 

最近ちょこちょことダンゴムシの人と会っているのだけど、そのときの僕はあまりコミュ障ではない。ふつうに相手に質問したり、会話を転がしたり、冗談が言えたり。会社にいるときとは別人なほどしゃべることができる。そのときのような精神状態で仕事ができたらだいぶ仕事が楽しくなってくると思うのだけど、なかなか難しい。

 

あとコミュニケーション以外で困っているのは、心に余裕がないので視野が狭まってしまい、その結果言われたことしかやれなくなってしまっていること。やり方が明確に決まっているわけではない作業が多く、その都度自分で「こうやったらいい感じになるな」と考えてやっていく必要があるのだけど、僕はとにかくやり方の正解がほしいと思ってしまう。だから上司に逐一「これってどうすればいいんですか?」と正解を聞いてしまう。

 

いまは右も左もわからないので、聞くことはそんなに悪いことではないと思うけど、そろそろ自分で考えてやってみないといけない時期に来ているような気がする。上司にもちらほらとそんなことを言われはじめている。学生時代、勉強をするときにも、自分で考えて答えを導き出すのが苦手だった。だから数学が大嫌いだった。逆に答えが明確になっている日本史などが好きだった。

 

おもにそんなところで苦労を感じている。たまに心が折れそうになってしまうときがある。けどさっきも言ったように、この苦労は僕だけじゃなく、いま新卒のみんなが感じていることなんだと思うことでやり過ごしている。そして、おそらくこれ以上ないほどやりやすい環境で働かせてもらっていると思うので、それを忘れないようにしている。いまだにきつく怒られたことはないし、みんなとっても優しくていい方たちばかりだ。せっかくチャンスをもらったのだから、ここでがんばっていこう、と思っている。

 


 

【お知らせ】

2015年7月に起ち上げた「石の裏のダンゴムシの会」が今月も開催されます。生きづらさを感じている人のための居場所です。いまは別の方に運営を任せているので、僕は参加しませんが、生きづらさを吐き出したいと思っている方、ぜひどうぞ。くわしくはダンゴムシの会のブログをご覧ください。

【告知】5月開催のお知らせ(2017/5/28) - 石の裏のダンゴムシ

人と接するときのマイナスとプラスの話

僕はひとと接するとき、なるべく「害を与えないようにしよう」と思っている。相手が嫌がることをしない、傷つくことを言わない、不快にさせない。ただ自分が嫌われたくないがためにそうしているだけなのだけど、そのおかげでいつも波風の立たない人間関係を維持できている。

 

ただ、それだけではダメだと最近思うようになった。

 

「害を与えない」というのはつまり「マイナスを与えない」ということだ。それも大事なことかもしれないが、これからはひとに対して「プラスを与える」こともしていこうと思うようになった。プラスを与えるというのは、自分からひとに対してなにか働きかけるということだ。身近なところでいえば、気づかいとか親切とか。

 

4月から働きはじめて、職場でいろんな大人の方を見ていてそう思うようになった。ひととの接し方、コミュニケーションの取り方、いろんな場面で「すごいなあ」と思わされた。大人っていつもひとのことを考えて動いているんだなあ、と。僕は自分のことばかり考えてしまっている。

 

思えば僕はいつも「マイナスを与えない」ように生きてきた。プラスをしようとするのはリスクが付きまとう。たとえば、目の前のひとがとても落ち込んでいて心配になったので声をかけてあげようと思ったとする。そこで声をかけてあげるのは「プラス」かもしれないが、もしかしたらそのひとはいまは放っておいてほしいと思っているかもしれない。だとしたら声をかけたら「マイナス」になってしまう。その可能性を考えてしまって、いつもためらってしまうのだ。

 

自分が相手になにかをしたとき、相手にとってそれが「プラス」になるのか「マイナス」になるのかは相手が決めることなので自分にはわからない。マイナスになるという可能性がある以上、なにもしないほうが得策だろうと思って、結局なにもしないという安全策を取ってしまう。

 

おなじ理由で僕はひとを遊びに誘ったり、話しかけたりできない。あの人を誘ってみたい、あの人に話しかけてみたい。そう思ったとしても、それが相手にとって迷惑かもしれない、と思ってしまって結局なにもできない。ダンゴムシの会のように「やります!」と不特定多数に声をかけて、参加するかどうかはその人の意思にまかせるという方式でなら大丈夫なのだけど、特定のひとを誘うのはなかなかハードルが高い。

 

結局は自分が傷つくことを恐れているだけなのだ。断られたり、嫌われたりするのがこわくて、その危険をおかすくらいならなにもしないほうが安全だという策を取っているだけなのだ。プラスを得るチャンスを逃してでも、マイナスを味わいたくないという心理。

 

でも今後はほんのちょっとでいいから、リスクをおかして「プラス」の行為をしていきたい。すこしだけリスクをおかせば、自分もひともハッピーになれるかもしれない。安全策を続けていれば、平和は維持されるかもしれないが、それ以上楽しいことは起こらない。

 

いままでの自分が「マイナスを与えない」ことに10割の力を注いでいたとするならば、今後は「マイナスを与えない」を9割、そして「プラスを与えてみる」を1割という配分にしていきたい。たった1割だったらそんなにむずかしくはないだろうから。

ひとは変われるのか

いまでこそ元気になった僕だけど、ちょっとまえまでは自分のことが大嫌いだった。激しく自己嫌悪して、毎日つらかった。なんでこんなにクズなのか、どうしたら普通になれるのか、どうしたら性格を変えられるのか。毎日考えていた。

 

あれからなんやかんやあって、いまはそこそこ自分のことが好きになった。基本的にはクズだけど、そんなに悪いやつでもない、と思っている。あれだけ苦しんでいたころがなつかしく思える程度にはいまは悩んでいないし、自分でも「変わったな」と思う瞬間があったりする。

 

ひとは変われるのだろうか。

 

生きづらかったころは何度も考えたテーマだ。どうやった変われるのだろう?そう考えて、ネットでさんざん検索したし、本も読み漁った。けど全然変われなくて、あいかわらずクズな自分を責めていた。みんなみたいになりたくてしかたなかった。普通になりたくてしかたなかった。変わりたくてしかたなかった。

 

結論からいえば、ひとは変われると思う。ただ実際には、イメージしているような「変わる」とはちょっとちがう。「変わりたい!」と切望しているときは、あたかも別人になる、と言わんばかりにいまの自分とちがう状態になりたがっている。いまの自分を全否定し、真逆の人間になろうとしている。

 

それは無理だ。あくまで自分は自分だし、別人になることはできない。ただの水が急にコーラになることはありえない。けど、水にコーラを注ぐことはできる。水にコーラをどんどん注いでいけば水は薄まり、コーラが濃くなっていく。けどどんなにコーラを注いでも、そのなかに水は必ず残っている。まったくべつの液体になることはなく、あくまで水とコーラが混ざっている状態になる。

 

それとおなじように、どれだけ変わろうとしても自分は残る。ポンっと別人に変身することはできない。けど、いまの自分を「薄める」ことはできるかもしれない。いったんいまのクズな自分を受け入れて、そこに新しい要素を注いでみる。そうすればいつの間にか、もともとのクズな部分が薄まるかもしれない。そして新しい要素が混ざって、以前とはすこしだけちがう自分が出てくるかもしれない。

 

僕自身の感覚としてはこんな感じだ。「変わった」というよりは「薄まった」という感覚。確実にクズな自分は残っているし、消しようがない。そこに人との出会いや、環境の変化、体調などいろんな要素が混ざって、時間をかけてすこしずつ以前の自分が薄まっていく。

 

だから必死で「変わろう」とするんじゃなくて、とりあえずはいまの自分を「薄めよう」とするくらいでいいんじゃないだろうか。どっちにしろ変わるにはそれなりの時間がかかるのだから、ゆっくりゆっくり混ぜていけばいい。

社会人のコミュ力はえぐい

はやくも入社して3週間が経った。ぼくは元気にやっている。

 

思っていた以上に大変だけど、思っていたよりはなんとかなっている。自分がちゃんとした社会人になれるのか非常に不安だけど、毎日がんばって働いている。仕事のスキル云々というよりは、コミュニケーション力が足りなすぎてちょっと困っている。

 

僕にとってコミュ力というのは「言葉を発することができるかどうか」というものなので、相手に対してなにか言葉を返すことができたら、それだけで自分を褒め殺したくなる。

 

だけど社会におけるコミュ力というのは「相手と正しく意思疎通がとれること」を指すようで、それは僕にはとてもむずかしい。まだ社員と連携を取って仕事を進めるという場面があまりないので大丈夫だけど、そのうちそういう場面がたくさん出てくるはずなのでやばい。人見知りだとかコミュ障だとか言っている場合ではない。

 

またあしたからがんばろう。がんばったらゴールデンウイークが目の前だ。なにかしらすてきな予定を入れたい。

就職から逃げたコミュ障がついに社会人になった

こないだの月曜日からついに社会人になってしまった。まだとても「社会人です」と名乗れるような人間ではないのだけど。敬語とかマナーを知らなすぎて、学生が会社に潜り込んでいるような感覚だ。

 

ようやく最初の1週間が終わった。早かったような長かったような。毎日毎日、必死に食らいついていたら土日がやってきた、という感じだ。心身ともに疲れたし、ようやく息がつけて安心している。

 

仕事内容はもちろん、社会人としての常識・マナー、社員の名前と顔。覚えることがたくさんありすぎて大変だった。「これが働くってことか」と痛感した。3月までやっていた派遣の仕事とはすべてがちがった。同じなのは荷物をロッカーにしまうところくらいだ。

 

正直、1日目と2日目の段階ですでに心が折れかけていた。体力的にもしんどくて、精神的にも憂鬱さがあった。「これやっていけるのか、、?」と。しかし人間の順応力というのはすさまじく、3日目で体力的にも精神的にも慣れてきて、すこし自信が芽生えてきた。

 

朝はやく起きることにも慣れ、社員とコミュニケーションを取ることにも若干慣れ、仕事もすこしずつ覚えてきた。「よしよしいけるぞ」と感じられたことですこしだけ余裕が生まれた。なので水曜日以降はわりと元気に出社することができた。

 

言ってしまうと、ITのベンチャーで事務の仕事をしている。いままではほぼひとりでやっていたという先輩社員の下につき、手取り足取り教えてもらいながら事務作業をしている。正直、まだ自分がやっている作業がどういう段階・位置づけの作業なのかよく把握できていないままやっているので、はやく全体像をつかみたいと思っている。

 

とにかく一瞬気を抜くと、自分がいまなにをやっているのかが分からなくなってしまうくらいいろんな業務をやっている。おそらくまだ全体の1~2割くらいしか教わっていないような気がするが。事務の仕事だけでなく、この会社のメイン事業のことも把握しておく必要があるので徐々に理解していきたい。

 

それから一番恐れていた「電話応対」と「来客応対」もやった。そんなの超絶コミュ障の僕にはできっこない、と思っていたのだけど、電話に関しては20件もこなせばある程度慣れてきてしまった。最初のうちは相手が言った「〇〇会社の〇〇です」がまったく耳に入ってこなくて、電話を取り次がなくてはいけないのに、誰からの電話だったのかがわからなくなってしまうという事態に何度も陥った。

 

しかしこれまた人間の順応力はすばらしく、ある程度の数をこなせば多少慣れてくる。いまだに、聞いたことのない社名や長い社名などは聞き取れないことがあるが、その場合には落ち着いて聞き直すこともできるようになった。来客応対はそこまで難しいものではないのですぐ慣れたが、「これ男性がやっていい仕事なんだろうか、、?」と違和感を感じた。たぶん関係ないだろうけど、もうちょっと身だしなみに気をつけないといけない。(基本みんな私服で働いている)

 

社員とのコミュニケーションに関してもある程度は慣れてきた。しかしやっぱりコミュ障を発揮しまくっていて、せっかく話しかけていただいたのにいまいち会話を広げられずに気まずい感じにしてしまったり、気を遣わせてしまったりすることが多々あった。みなさんとてもいい方々で、僕が想像していたような怖い上司や大人は全然いなかった。それだけに気を遣わせてばかりで大変申し訳がない、、。

 

あしたからまた1週間がはじまる。徐々に仕事のハードルが上がっていくだろう。また心が折れかかるような場面に直面することもあるかもしれない。けどすこしだけ踏んばれば乗り越えられそうならがんばろうと思う。ほんとに「無理だ」と感じたらそのとき考るか、だれかに相談する。

 

読者のなかにも、4月から社会人になった方がいるかもしれない。いっしょにがんばりましょう。また、がんばりすぎないようにがんばりましょう。

ダンゴムシの会を卒業した

こないだのダンゴムシの会が個人的に最後の参加だった。卒業だなんてちょっとおこがましいけど、ほかに表現が見つからないので一応「卒業」ということにしておく。自分の生きづらさがひと段落したことと、4月から心機一転してがんばりたいという理由から3月をもっての卒業を決めていた。

 

会の中身については、ダンゴムシのブログのほうで告知担当のつっきーさんがレポートを書いてくれているので気になる方はそちらをどうぞ。

第21回ダンゴムシの会レポート(2017/03/26) - 石の裏のダンゴムシ

 

基本的にはいつもと変わらず、いろんな方と話をしてきた。4月から就職することが決まったので、仕事の話をたくさんした。働いている参加者さんからいろいろアドバイスを聴いたりできて有意義な会話ができた。

 

ぼく自身が就職できたこともうれしかったけど、もうひとり参加者で最近就職した人がいて、それもうれしかったし、びっくりした。だいぶ長い付き合いの人で、ずっといっしょに「いかに働きたくないか」を語ってきたような人だったので、おなじようなタイミングで就職が決まって、お互い進みはじめてるなあ、と。

 

それだけじゃなく、ほかにも「働く」ことに向けて前進しはじめた人が何人かいて、みんな変わりはじめてるなあ、と。すこしずつすこしずつ自分の人生をいい方向にもっていこうと動きはじめてる人が増えてきていて、ダンゴムシの会のなかでいい相乗効果というか、連鎖反応というか。そういうものが生まれているような感じがある。

 

会で「働こう!」みたいな働きかけをしてるわけではまったくない。むしろ「働きたくない」「働くのがこわい」という気持ちをいつでも言えるような雰囲気がつねにあるし、それがダンゴムシのいいところのひとつだ。だけど、すこしずつ「働く」ことに前向きになった人がちらほら出てきたことで、自然と「自分もがんばろう」と思う人が出てきて、いい連鎖が生まれてきてるんじゃないだろうか。

 

で、ちょっと話もどりまして。

 

会のさいごに、なぜかみんながぞろぞろ整列しはじめたかと思ったら、ぼくだけはじっこに立たされて。なんだなんだ、と疑心暗鬼になっていたら、「みんなで色紙を書きました」と、サプライズをしていただきまして。「どうやって?いつ書いたの?」とびっくりしながら、渡された色紙を見てみたら、手書きではなくパソコンで入力された色紙になっていた。なんでもそういうサービスがあるんだそうで。

 

いままで参加した人のなかで、ダンゴムシのLINEグループに入っている人に呼びかけて、20人もの人からのメッセージが書かれていた。毎月参加していてだいぶ仲よくなった人たちや、かなり久しく会っていない人たちまで。いろんな人からのメッセージがあって、「いま読んだら泣く」と思ったので、その場では読まずにあとでじっくり読むことにした。そのあと、その色紙といっしょにみんなで記念撮影をした。

 

そのあとは恒例のサイゼ2次会をやり、今回はさらに3次会まで。3次会で色紙をじっくり読ませてもらったのだけど、なんとか泣くことは避けた。けど、かなりグッときたし、もしお酒を呑んでいたら確実に泣いていたと思う。

 

終電間際の時間帯に帰ったのだけど、4人で駅に向かい、そのうち2人がちがう路線や反対方向の電車に乗り、最後は僕とPさんの2人になった。Pさんはもともとぼくがダンゴムシの会をつくるきっかけを与えてくれた人だ。2年ほどまえに、Pさんがこのブログを読んでぼくに連絡をくれて、そこから付き合いがはじまりダンゴムシの会をつくるに至った。ぼくにとって最後のダンゴムシ、その帰りにPさんと2人になるとはなかなかドラマチックじゃないか、と勝手に思いながら、途中の駅で別れ、家路についた。

 

かれこれ21回参加してきたダンゴムシを卒業した。全部で何人と会ってきたのだろうか。40人くらいだろうか。すべていい人たちだった。みんなのおかげで、人と関わることの楽しさを思い出すことができた。人と関わるのがこわくてたまらなくて、とにかく「ひとりで生きていきたい」と思っていたころがウソのようだ。

 

あさってからはついに社会人生活がスタートする。今度はまた新しい人間関係がはじまる。たくさん不安はある。けど、ダンゴムシでいろんな人と関わってきた自分、そしてダンゴムシを起ち上げて運営してきた自分。そんな自分に自信をもってがんばりたい。それに、ぼくは昔から人間関係には恵まれているので、きっとつぎもいい人たちに囲まれるはずだ。

 

ありがとう、ダンゴムシのみんな。

就職が決まった

去年10月からはじめた仕事を3月いっぱいで辞め、4月から新しい仕事に就くことになった。いままでは派遣として週3日働いていたけど、4月からは契約社員としてフルタイムで働く。問題がなければ3か月後に正社員として雇ってもらうということになっている。

 

期待と不安が半々、いやちょっと不安のほうがやや大きいか、というのがいまの心境だ。これでひとり暮らしが実現できるぞ、ほしいものが買えるぞ、社会人の仲間入りができるぞ、といううれしさ。ちゃんとやっていけるだろうか、クビにならないだろうか、という不安。それぞれ感じている。

 

せっかくのチャンスなので一生懸命がんばろうと思う。社会人経験もゼロ、仕事のスキルもゼロ。それを受け入れたうえで、いろんなことを吸収していきたい。いいことも悪いこともあるだろうけど、「いまよりよくなろう」とする姿勢だけは崩さずにいようと思う。

 

がんばります。

はじめてしっかりお金を稼いで思ったこと

去年の10月から派遣として働きはじめた。1日4時間で、それを週3日。だいたい月に50時間弱くらい働くという生活を半年続けた。それによってもちろんお給料をもらうことができたのだけど、こうやってしっかり長期で働くのは僕にとって今回がはじめてだった。

 

いままでは日雇いの派遣バイトしかやったことがなく、「1日だけ働く」というのを繰り返していくらかのお給料をもらっていた。月々の収入はまちまちで、多いときで4万円、少なくて(というかなにもしないと)0円。いつもお財布はぎりぎりで、貯金なんてまったくなかった。

 

いままでお金に余裕がある、という状態を経験したことがほとんどなかった。いつもいつも1円でもいいから節約しなきゃと思っていた。「買わないのが一番安上がり」と考えて、なにかが安売りされてても我慢して買わなかったり。友だちたちとコンビニに寄っても、自分だけなにも買わなかったり。

 

でもいまはようやく安定して収入を得られるようになった。そんなに多くはないけれど、いままでと比べたらものすごく大金を持っているような感覚だ。けど調子に乗って使いすぎないように、毎月自由に使える自分のお小遣いの額を決めて、それ以外はすべて貯金することにしている。

 

で、ある程度自由にお金を使えるようになってうれしかったのは、コンビニで買い物ができるようになったこと。いままでももちろんコンビニを使ったことは何度もあるけど、でもあまり使わないようにしていた。コンビニはどこにでもあっていつでもやってるから便利だけど、売ってるものはあんまり安くない。というか僕からしたら高い。だったらちょっと歩いて安いスーパーに行って買ったほうがいい、と思っていた。

 

ところが最近は、仕事帰りにファミマに寄って夜食を買って食べるのにハマっている。ちょうど最近、駅から自宅までの帰り道にファミマができたので、仕事帰りにはたいてい寄ってなにかを買っている。こないだはじめてプレミアムチキンとやらを食べて感動したし、ずっと食べてみたかったベビースターラーメンみたいのが入ってるサラダを食べてひとりではしゃいでいた。

 

そんな感じで、いままで「高い」と感じて買えなかったものも買って楽しめるようになったことがすごくうれしかった。お金がないころは「どうしてお金がないとなにもできない社会なんだー」と嘆いていたけど、ある程度お金を手にしたら、いったんそんなことを忘れていろいろ楽しんでいる。たまに思い出して世知辛いなあ、なんて思ったりするけど。

 

そういえば、23日にはついにはじめて横浜スタジアムにベイスターズの試合を観に行ってくる。これも自分でチケットを買えるようになったから実現したことだ。はじめての横浜スタジアム、はじめてのひとり野球観戦なのでいろいろ不安もあるけど、楽しんで来ようと思う。

 

あたりまえのことだけど、お金があると自分の欲しいものを手に入れることができる。最近になってやっと、それができるようになったのでとてもうれしかったし、いろいろと楽しんでいるという話。さらにいうと、そう感じられたからこそ、これからも働こう、と思えるようになった。

生きづらさから抜け出すためのヒント

パワプロという野球ゲームがある。

 

あのゲームではひとりひとりの選手に能力値が設定されている。たとえば、横浜DeNAの筒香選手の能力は以下のように設定されている。(まちがっているかもしれない)

 

  • ミート:B
  • パワー:A
  • 走力 :D
  • 肩力 :D
  • 守備力:D
  • 捕球 :D

 

それぞれの項目ごとにアルファベットで能力が設定されていて、Sが最高で、つづいてA、B、C、D、E、F、Gと順番になっている。筒香選手の場合だとパワーがAなのでとてもパワーのある選手だと分かる。

 

さらにこの能力のほかに、試合をするときに重要になるものとして「調子」という項目もある。それはその選手のいまの調子を示すもので、「絶好調」「好調」「普通」「不調」「絶不調」の5段階で示される。たとえば筒香選手が絶好調の状態で試合に出れば、さっきの能力よりもアップした状態になるし、絶不調であれば能力が下がってしまう。調子によって本来の能力を発揮できるかどうかが変わってくるのだ。

 

なぜこんな話をしたのかと言うと、このパワプロの「能力」と「調子」の関係が生きづらさから抜け出すためのヒントになるような気がしたからだ。ただ好きな野球の話がしたかっただけではない。ちゃんと生きづらさと関連した話がしたかったのだ。

 

なにが言いたいのかというと、以前、ぼくが「自分の性格をなんとかしたい」と悩んで、うまくいかず苦しんでいたころはパワプロでいう「能力」を上げようとしていた。自分のミート力を上げたい、走力を上げたいと悩んでいた。たしかに僕の人間としての能力はだいぶ低い。だから能力を上げようとするのは当然だったかもしれない。けど当時のぼくは調子が「絶不調」だったはずだ。精神を病んでいたし、とても絶好調な状態とは言えなかった。

 

能力も低い、おまけに絶不調。そんな状態の人間が人生うまくいくわけがない。パワプロでいえば、試合で活躍どころか、試合にすら出れないだろう。絶不調であれば練習をしても能力が伸びにくいだろうし、ケガをする可能性も高くなる。とにかく「絶不調」はなにをやってもよくならない状態なのだ。

 

と考えれば、まずやるべきなのは「能力」を上げることではなく、「調子」を上げることだ。絶不調から絶好調にするとまではいかなくても、とりあえず「普通」にするのが先決だ。能力を上げようとするのは絶不調状態を抜け出してからのほうがいろいろと効率がいいのだ。

 

去年の8月ごろ、ぼくはニートであることへの焦りをいったん忘れて、好きなことを思いっきり楽しむことにした。ちょうどオリンピックがはじまったし、プロ野球も盛り上がっていた時期だし、高校野球もはじまった。自分が楽しい気分になれるものがたくさんあったので、それらをめいっぱい楽しむことにした。

 

それから生活習慣も良くするように意識しはじめた。よく寝ること、しっかり食べること、などをとくに意識した。そうしていたら、いつのまにか元気になっていて、生きづらさを感じることを忘れていた。そして9月には「よし、はたらこう」という気分になり、10月からはたらきはじめることができた。

 

自己嫌悪におちいっているときは、いますぐに「能力」を上げようと焦ってしまう。そしてさらに自己嫌悪におちいって悪循環がはじまり、だんだん病んできて「調子」が下がってしまう。そうなってしまったら、遠回りのように感じてしまうけど、いったん「能力」をあげようとするのをやめて、「調子」を回復させることに専念したほうがいい。結局そっちのほうが近道だったりする。

 

自分が楽しい気分になるのはどんなときか、なにをしたらポジティブになれるかをつねに探しながら、なるべく自分が「好調」をキープできるように日々、こころと身体のコンディションを整えることが大事だと思う。

【結果発表】病気でも障害でもない生きづらさ

先週からはじめたアンケートの結果が出た。全部で55件の回答が集まった。回答してくださった方々ありがとうございました。

 

さっそく結果を公開。どどん。

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自由に記述していただいた「その他」の回答はこちら。

  • 身体醜形症
  • 周り人間が、言葉のきつい人ばかりだと思う。
  • 人見知り
  • 躁鬱病
  • 恋愛依存、ネット依存
  • 家族の考えと自分の考え方だけが合わない。病むと入院するほど食事がとれなくなる。

 

ダンゴムシの会をやっていても感じることだけど、こうしてアンケートを取ってみても、ほんとうにいろんな形で生きづらさを感じている人がいるんだな、と。ぼくが感じてきた「自己嫌悪感」や「人見知り・コミュ障」で悩んでいる人が多い一方で、少数ではあるけども「統合失調症」や「パニック障害」など、日常でいろいろと苦労が多いであろう障害を抱えている方もいるよう。

 

上の一覧だとちょっとわかりづらいので、とくにチェックの多かった項目を順番に並べてみた。

  • 人見知り、コミュ障 63.6%
  • まじめ系クズ 63.6%
  • 自己嫌悪感、自己否定感 54.5%
  • 完璧主義 49.1%
  • 働きたくない 45.5%
  • 虚無感 41.8%
  • 毒親 41.8%
  • アダルトチルドレン 40%

 

こうしてみると上位5つくらいは、まさに僕の生きづらさと重なるので、僕みたいな方がたくさんいるんだなと。みんな友だちになれそうだなと思った。お互い人見知りなのでまともに会話できない可能性が高いけども。

 

思ったのは、「うつ病」や「パニック障害」「発達障害」など、病気や障害によって生きづらさを感じている人が比較的少なくて、多いのは「自分の性格」について悩みすぎてしんどくなっている人だということ。

 

僕がしんどかった時期、とにかくクズな自分をどうにかしたくて日夜悩んでいた。いろんな障害を疑ったりもした。発達障害なんじゃないか、パーソナリティ障害なんじゃないか、と。こんなことを言ってはいけないかもしれないけど、むしろ病気や障害だと分かったほうが気持ちが楽になるのに、と思ったこともある。そうすれば、自分がクズなのは自分の努力不足ではなく、病気や障害のせいなんだと言い訳できるからだ。そんな風に考えてしまう自分はやっぱりクズだ、とまたへこんでしまうのだけど。

 

病気でもないし、障害を持っているわけでもない。だけどつらい。そういう状態にある人がたくさんいるんだろうと思う。病気や障害を持っている人も当然しんどいだろうが、グレーゾーンな人もけっこうつらい。まず自分のなにがどう悪いのか把握するのが難しい。そして仮に分析できたとしても、どうやって治せばいいのかもわからない。病院やカウンセリングに行くのも自重してしまう。そしてひとりで堂々巡りをくりかえす毎日で、気が滅入るばかり。

 

おかげさまでいま僕はだいぶ元気なのだけど、18歳のときに生きづらさを感じはじめてから5年経ってやっと元気になれた。時間が経てば解決するものでもないけど、ある程度時間をかけないとメンタルは浮上してこないので、いましんどい人は気長に待っていたほうがいいと思う。つらいときほど「はやくなんとかしたい」と焦ってどんどん悪循環に陥るので、そういうときほど悩むのを一時停止して、食べて、好きなことやって、ゆっくり寝たほうがいい。なんてえらそうに指南できる立場でもないのだけど。

 

ま、とにかく。改めて、協力していただいた方々ありがとうございました。7割くらい適当に生きて、3割くらいがんばりながら生きていきましょう。

 

ちなみに、まじめ系クズで悩んでいる方にはこちらのブログがおすすめです。まじめ系クズの改善・克服法がとても具体的に書かれています。僕も行き詰ったときは読んで参考にしています。

まじめ系クズの日常

プライドを捨てたら人生を楽しめるようになるかも

ちょいと旅行に行ってきまして。こないだから「ひとり旅に行きたい」と言っていたけど、今回はそのひとり旅ではなく家族旅行でして。都合よく平日にみんなの予定が空いたのでぱーっと行ってきた。母と弟たちと4人で。

 

で、うちの家族はみんなひきこもり気質で、口数も少ないし、感情も表に出さないタイプなので、旅行に行ってもあまりエンジョイできない。心のなかではそれなりに「楽しい」「おいしい」「すごい」と感じているのかもしれないけど、それを口に出してみんなで共有するということはほとんどない。はたから見れば、葬式帰りのような旅行客に見えただろう。

 

ただぼくは今回わりと、ひとりで感想を口に出していた。「すげー!」とか「これうまいな!!」とか。せっかく母が連れてきてくれたので、楽しんでいるということを伝えたかったというのもあるし、ほんとうにそう感じていたので、思ったことはなるべく口に出すようにした。

 

むかしはそういうことを口に出すのはプライドが許せなくて言えなかった。「すごい」とか「かわいい」とか「おいしい」「楽しい」「かっこいい」とか、そういう感想を言うのは恥ずかしかった。たとえばディズニーランドに行ってパレードとかを見ても、「へっ、なにがパレードだよ」と突っぱねるような人間だった。

 

けどここ数年で、そういうプライドを捨てた。言い方が悪いかもしれないけど、プライドを捨ててちょっとバカになったほうが人生を楽しめるということに気づいたからだ。いわゆるリア充とか、女子高生や女子大生など、ああいう人たちは人生を楽しむのが上手な人たちだと思うのだけど、彼らや彼女らは「かわいいー!」とか「おいしいー!」とかひとつひとつのことに感想を言う。プライドを捨てて、そういう部分をマネしてみるとなかなか楽しめることがわかったのだ。

 

まえは、人生はもっと高尚なものだと思っていて、ちょっとしたことでわーきゃー言っている人たちを見下しているようなところがあったのだけど、いまはその考えが変わった。プライドを捨ててささいなことに感激したり、感動したり、感嘆することが人生を楽しむコツなんだろうと思うようになった。

 

ただ、むかしは何にたいしても感想を持てなかった。自分がこれをすごいと思うのか、おいしいと思うのか、自分でもよくわからなかった。女子がよくいう「かわいい」に関してはとくによくわからなかった。でもとにかく最初のうちは、思ってなくてもいいからことあるごとに「すげー」とか「うまい」とか「かわいー」とか口に出すようにしていったら、だんだん自分のなかで感想を持てるようになってきた。

 

そうやっていくうちにプライドが捨てられて、おいしいごはんを食べたときに「うまい!」と思えるようになるし、きれいな景色を見たときに「すげー!」と感動できるようになる。

 

まあいまだに、女子が言う「かわいい」には共感できないことが多いんだけども。

 

以上、プライドを捨てたら人生を楽しめるようになるかも、という話。

 

 


今月のダンゴムシの会、参加者募集中です。今月参加すれば、もれなく今回の旅行のお土産を配りますよ!

【告知】2月開催のお知らせ(2017/2/26) - 石の裏のダンゴムシ

 

あとアンケートをやっています。あしたの12時くらいで締めきろうと思っていますのでご協力お願いします。現在52名くらいが回答してくださっています。

【アンケート】みんなの生きづらさを教えてください - 生きづらいふ

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