生きづらいふ

人生をクリアに、シンプルに、さわやかに。

楽を覚えすぎてはいけない

ぼくは楽を覚えすぎてしまったんだと思う。


最近は会社の人と飲んだり遊んだりする機会が多く、超絶内向的なぼくにとってはありえないくらい社交的な生活をしている。朝会社に行って、帰りの電車に乗るまで、かなりの時間を誰かと過ごし、誰かと会話をしている。


そんな生活、以前のぼくだったらとても耐えられなかったと思う。もっとしゃべらなくていい時間、ひとりで過ごせる時間がないと無理だった。大学生のときは、実際そうしていた。友だちと過ごす時間もあったけど、そうじゃないときはどうにかしてひとりでいられる場所を探してそこで過ごしていた。


それによって、ぼくは楽を覚えすぎてしまったんだと思う。ひとりでいること、会話をしないこと。それ自体が悪いことだとはまったく思わないけど、でもそういう時間が多くなることで、楽をしていて、いざ誰かとしゃべる、過ごすという場面になったときにかなりしんどくなってしまう。


実際、会社に入りたてのころは、単純に人見知り・コミュ障ということもあって、まったく人としゃべれなかったし、はやくひとりになりたくて仕方がなかった。唯一、会社にいるときにひとりになれる時間である、お昼休憩とトイレの時間がとても貴重だった。


それでもたまに、いっしょにお昼を食べに行こう、と誘ってくれる人もいて。正直、入社当時は、しゃべるのに緊張する人とお昼に行くなんて、まったく休憩にならないじゃないか、勘弁してくれと思っていた。


けどいまは、ほぼ毎日誰かとお昼を食べているし、夜に飲みに行くことも多くなった。なんだったら休日に会社の人と遊んだりもする。多少の緊張やストレスはあるものの、楽しめているし、以前のように「どうしてもひとりになりたい..」という切実感も減ってきた。


いやでも、やっぱり基本的にはひとりのほうが好きなんだけど、そういう時間が増えても以前より抵抗感が減ってきたという感じ。あまりにひとりの時間が確保できなくて、いろいろ気持ちに余裕がなくなってくると、露骨に機嫌が悪くなったりすることはある。今日はどうしてもはやく帰りたい、ひとりでゆっくりしたい、と思っているときに飲みに誘われたりしたときに露骨に嫌そうにしてしまう(直したい)


で、なにが言いたいかというと、人とのコミュニケーションは運動といっしょで体力が必要で、怠け過ぎるとちょっとしたことでも疲れるし、続かないし、余計に避けようとしてしまう。でもちょっと頑張って続けていると、だんだん体力やストレス耐性がついてくる。


以前のぼく、おもに大学生でめちゃめちゃ病んでいたときは、とにかく人を避けていた。当時はそれが精いっぱいだったから、当時の自分に「もっとがんばれ」という気はないけど、結果逃げて逃げて楽を覚えてしまった。その結果、社交体力がとても落ちてしまった。


その結果、会社に入りたてのころはそれなりに苦労した。けど、ちょっとずつちょっとずつ体力をつけていって、最近はけっこう社交的な日常を過ごしている。もちろんいやだなあと思うときもあるけど、楽しいときもある。だから多少のストレスを我慢して、体力が落ちないように継続していくのが大事だなぁと思った。


そうはいっても、やっぱり基本的にはひとりでいたいと思うんだけど、ね。

転職を考えはじめてから一年くらい経った

転職を考えはじめてからもう1年くらい経った。


といっても、ただ考えていただけで実際に転職活動まではしていない。いくつかの転職サイトには登録をしたが、たまーに求人を眺めてみるだけで本格的なアクションはほとんど起こしていない。けどずっと「転職」という言葉は頭の片隅にある。


なぜ転職を考えているのか。


単純にいまが苦しいということ。いまの自分の能力に対して、高すぎる難易度とプレッシャーが苦しい。そしてそれをサポートしてくれる存在がいないということ。建付け上、面倒を見てくれる人はいるものの、その存在によって余計に追い込まれてしまっている。


そして、いまの業務が合っていないと感じていること。よくわからないことを、よくわからないまま任され、よくわからないまま進める。正解がないことに対して取り組むことがすごく苦手だし、あまりにいろんな複雑な課題が多すぎる。そしてそれを何の知見も経験もない状態でひとりで取り組む難しさ。


でもなぜ実際に転職に踏み出さないのか


ほかの会社ではやっていけないだろうと思うから。きっといまの会社はとても優しくて、良くも悪くもぬるい。だからこんなぼくでも、たいして叱られることなくぬくぬくと勤務できてしまっている。よくわからないことがあるのにわかろうとしていないのは職務怠慢だし、仕事なんて基本的には正解がないものだし。そんな状態ではよそではやっていけないだろうし、いまよりもっと不安とプレッシャーを感じてしまいそう。


そして、なんだかんだいまの会社が好き。嫌な思いもたくさんして、本当に病んだことも何回かあったけど、でもたくさんの人に仲良くしてもらって、優しくされて、楽しく過ごせたのも事実で。会社の怒涛の紆余曲折も見てきたし、お世話になってる人への感謝の気持ちもある。もうちょっとこの会社に貢献したい、という気持ちがある。


もう一つは、転職しようにもどんな会社へ行きたいか、が全然定まらないということ。これまで経験してきた業務、職種を続けたいとも思っていないので、ここで改めて「どんな仕事がしたいのか」を考えているのだけど、ざっくりの方向性はあるものの、「これだ!」というものがない。


ざっくりの方向性をあげると、

  • 組織、指揮命令系統が整っている会社
  • IT系
  • 営業職以外
  • フラットな社風
  • 向上心が持てる業務


こんなところ。


いま一番苦しいのは、べつにやりたい仕事ではない上に、不安とプレッシャーを感じて縮こまっていること、なのでそれを何よりも解消したい。そのためには、自分がこの仕事を「もっとできるようになりたい」と向上心を持てる内容で、かつ「会社のビジョン」と「自分のミッション」、そして「指揮命令系統」が明確になっている状態がきっと働きやすいだろうな、と思う。


でもそんなことを言いつつ、なにもアクションを起こしていなかったら、いつまで経っても進まないのでなにかしなくては。実際の転職活動の前に、どんなことに興味があるのか、なにがしたいのかを探るために、仕事以外の時間に別のなにかに取り組むということをしたいなぁ、とぼんやり考えている。


資格の勉強しかり、なにかスキルを身につけるとか、興味のあることに手を出して、「これをやってみたい」「もっとできるようになりたい」と思うものを探りたい。ちょうど久しぶりにHTML/CSSに触れる機会があるので、またそっち系を目指すのもいいかもしれないし、はたまた別の何かに興味が湧くかもしれないし。


絵空事かもしれないけど、もう少し楽しく、充実感をもって働きたい。

学生と会社員のコミュニケーションの違い

ふと思った。


会社で働いていると、本当にいろんな人と関わるのだけど、中には「学生時代だったらこの人とは絶対に仲良くなっていなかっただろうなぁ」という人とまで関わったり、仕事したりする。


それってめちゃくちゃすごいことなんじゃないか、と。


学生時代の人間関係は、クラスメイトのなかでなんとなく気の合う人たちでグループを作って、基本的にはそのグループを中心にコミュニケーションを取って過ごしていた。


あまりカーストっぽいくくり方をするのはよくないけど、ざっくり分類すると「イケイケな陽キャグループ」「ちょうど中間くらいのグループ」「おとなしめな陰キャグループ」に分けられる。クラスが出来ると、自然とそういう形でグループが形成されていって、自分の一番落ち着くところで過ごすようになる。


でも会社だと、そんなグループ分けなどなく、本当にいろんな人が入り混じっていて、気が合う合わないなど関係なく、コミュニケーションを取っていくようになる。仕事上のコミュニケーションはもちろん、仕事以外でも例えば飲み会やちょっとしたイベント、普段のランチなどでコミュニケーションする機会がたくさん出てくる。


ぼくは学生時代、「中間くらいのグループ」か「陰キャグループ」あたりに属していたので、「陽キャグループ」に対する耐性がない。だから、会社で陽キャっぽい人たちと会話すると、本当に価値観がちがくて翻弄されるし、なんか疲れる。


仕事の話であれば、一応みんな足並みをそろえて会話しようとするのであまり困ることはないのだけど、普通の雑談とかをすると異世界の人と話しているみたいで圧倒される。学生時代の話とかを聞いても、ぼくとはまったく過ごし方が違っていて、飲み会!サークル!海!合コン!みたいな話とか聞くと、聞いているだけで疲れてくる。


そして、もっと広い視点で考えれば、育った地域も違えば、文系・理系の違い、そして年齢も違う人たちがたくさんいる。10~30歳くらい年上の人たちと接することもたくさんあるし、地方で育った人たちもたくさん。そして、ぼくはド文系なのだけど、反対に理系出身の人たちもたくさんいる。いままであまり接したことがない人たちがたくさんいる。


そんななかでコミュニケーション取りながら過ごしていくことってめちゃめちゃすごいことなんじゃないか、と。それはぼくのように、どちらかというと陰キャな人が陽キャと接することもそうだし、反対に陽キャ陰キャと接することもすごくストレスに感じているだろうからすごい。


ふとそのことに気づいて超絶コミュ障なわりにはけっこうがんばっているんじゃないかな...と思った。逆にいえば、ぼくでもなんとかなっているので、たぶんたいていの人はなんとかなる、と思う。いろんな人と関わることで、いままでになかった経験ができたり、価値観に触れることができるので視野が広がる。


そして世の中には、あと何回人生やり直したとしてもこの人には追いつけない、と思うような素晴らしい大人もいれば、けっこうしょうもない大人がたくさんいることも分かる。そんななかで自分はいまどんな人間なんだろうか、これからどんな大人になっていくんだろうか、と思う。

近況とつぶやき

おひさしぶりのブログ。

 

近況とかちょっとしたつぶやきとかをざっくばらんに。

 

疲れが取れない

ここ2週間くらいずっと疲れてた。へとへとってわけではなくて、ただ身体が怠いというくらいの疲れなんだけど、それはそれでしんどかった。肩とか背中とか痛いし、朝起きるのしんどいし。大人みんなそうかもしれないけど。

 

身体とか気分のコンディションに対して、天気ってわりと重要だと思っていて。めっちゃ快晴で、ほどよい気温のときはやっぱり気分もよくなる。反対に天気悪かったり、気圧が低かったりするといまいち調子でない。

 

で、最近はみごとな梅雨のお天気なので、やたら疲れるのはそのせいもあるのかな、と。ここ数年の梅雨って、いうほど雨降ってなかった気がするんだけど、今年は見事なまでに雨ばっかり。おかげで全然洗濯できない。つらみ。

 

あとこの2週間くらいやたら人と飲んだり、遊んだりする機会が多かった気がする。全部会社の人間関係のなかで発生したもので、楽しく過ごせたものもあればしんどかったものも。もうちょっと一人の時間ほしいと思ってしまう社交性ゼロの社会不適合者..

 

それからちょこちょこ通っているマッサージにも行けてなくて。全身カッチコチに固まっていて痛かった。で、今日やっと行けたんだけど、もう憑き物が取れたように身体が軽くなった。全然ちがう。なんとなく気分も晴れた。やっぱマッサージ大事だ。

 

自分がなにをしたいのかさっぱりわからない

「自分の意思」というのが今年の自分のテーマで、自分はなにをしたいんだろう、自分はどう思うんだろう、というのを折々で思い出してすこし考えるようにしてるんだけど、やっぱりさっぱりわからない。

 

今日思ったのは、なんでいまの会社にいるんだっけ?と考えたときに、やりたい仕事ができているわけでもないし、仕事環境にめっちゃ満足してるわけでもない。(基本的には満足してるけど)人間関係には恵まれているけど、ちょっと、いやだいぶ疲れる。

 

そうなったときに会社にいるメリットが給料くらいしかない。あとは働いているという社会的ステータスか。とはいえ、そのお金で好きなことをしたり、ものを買ったりしているわけでもない。ただなんとなーくふつうに生活しながら、気まぐれに買い物する程度。

 

え、じゃあいまなにがしたくて生きてるの?って。この先どこに向かって生きてるの?

 

そんなに大袈裟に考えなくてもいいのかなあ。

 

自分で自分を息苦しくする考え方をしているような気がしてきた。うん、そんな気がする。変なこだわり、意地、プライド、不安を手放して、もっとシンプルに楽に考えればいいのかなあ~

 

2019年の半分が

終わるみたい。はやい。はやすぎるぞ。ついこないだ年明けたよね?

 

2019年の前半。どうだったかな。仕事が苦しいということしか浮かんでこない。そんななかいい出来事ももちろんあったし、基本的には大きな不幸もなく、平和に暮らせているのでぜいたくな話だ。

 

後半はいまより気楽に考えて、日常のなかの幸せを感じながら、自分の意思を大事にして過ごしていきたい。

 

そのためには仕事で感じるストレスを減らして心に余裕をつくりたい...業務量はまだ余裕があるから増えても大丈夫だけど、ひとりで抱え込んで悩んでいる時間が長くて、そのせいでじわじわストレス増えていくので、それをやめたい。

あした26歳になる

わたくし事で恐縮ですが、あした26歳になる。

 

毎年言っているけど、もうほんとやばい。全然年齢と中身がマッチしない。むしろ、年々離れていっている。年齢は着実に増えていっているけど、中身がたいして変わらないのでとても残念な感じになっている。

 

中身が全然成熟しなくて、いつまでも幼稚なので、外見もなんか幼いまま。よく言えば若いのかもしれないけど、なんかそうじゃなくて悪い意味で幼いまま。大人っぽさがなくて悲しい。いつまでも大学生みたい。

 

中身が幼いから、外見も変わっていかないんだろうな、と思う。

 

とはいえ、お腹だけは着実に成長していて、どんどん出てきている。体型自体は変わらないんだけど、お腹にだけお肉がついていっている。去年の誕生日にもおなじこと書いているんだけど、たいして努力せず放置してたらやばくなってきた。

 

そんなのはどうでもよくて。

 

これも毎年言っているんだけど、このブログも誕生日を迎えました。

 

2014/6/7に開設してから5年が経った。遠い昔のような、案外最近のような。この5年はわりと目まぐるしく環境が変わったので時間感覚がよくわからない。まさか5年も続けるとは思ってなかったし、何度ももうやめようかなと思った。

 

けど、きれいごとじゃなくいまの自分があるのはこのブログのおかげなので、これからも続けるだろうなと思う。書くことで気持ちや頭を整理できるし、それを誰かが読んでくれて共感もしてくれる。さらにはブログ経由で人との出会いが発生する。これによってどれだけ救われたか。

 

ブログやってなかったら、まだニートだったかもしれないし、ほんとに友だちが0人だったかもしれない。当然ひとり暮らしもできずに、実家でただただ引きこもっていたかもしれない。ここでぽつぽつと文章を発信し続けたことで、人生が好転していった。ありがとうブログ。ありがとうみんな。

 

そんなこんなでぼく自身も、このブログもまたひとつ年を取ったということで、これからなにをがんばろう。正直最近は現状維持感がすごくて、ひたすら耐えながらおなじ生活をキープしている。その我慢が将来につながるわけでもなく、なにか目的があるわけでもなく。

 

じゃあなんのためにがんばってるんだろう、と。

 

現状維持に徹しているのは逃げ出す勇気がないのと、行きたい場所がないから。ただなんとなく生きている状態。楽な場所で現状維持しているならいいんだけど、楽じゃないのに抜け出せないという。(相対的には楽なのかもしれないけど)

 

でもそこから動かない、おなじ場所にいるというのがなんだかんだ一番楽だとわかっていて、動きださないのかもしれない。やっぱり怠けてるんだよな...結局なにもしていない。サンドバックのようになにかを受け続けるだけで、自分からなにかアクションを起こそうとはしない...

 

ただこれまでを振り返ると、そこに至るまでに時間はかかるものの、ある日突然「あっ、そうしよう」と思い立って新しいことに挑戦したり、なにかを決断したりしてきた。そこに多少の不安はあるものの、謎の確信というか自信みたいなものがあって、迷いなく進める。

 

その瞬間が来るのは、いろんなタイミングが重なったときで、自分の気持ちとか、人から受けた影響とか、時期とかいろんなものが合わさって、すっと腑に落ちたように次の行動を決める。ふだん何かを決断するのにめちゃくちゃ時間かかるのに、そういうときはなんの迷いもなく決断できる。

 

だからまたきっとそういうタイミングがどこかで来るんじゃないかな、と。結局待ちの姿勢なのはよくないと思うんだけど、これまでのターニングポイントもそうやって生きてきたので、変に無理せずにそのタイミングを待ってみてもいいんじゃないかな、と。

 

いつのまにかまじめな話書いてしまったけど、誕生日なんですよね。

 

今年もまたひとつ年を重ねてしまいますが、ブログともどもよろしくお願いします。

 

さみしいから祝ってね!!!!