生きづらいふ

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自分を「肯定」することと「正当化」することは違う

このあいだ、過度な自己否定はよくない、ということを主張した。

自己否定なんか今すぐやめた方がいい、とりあえず現状を肯定してみることからすべては始まる

 

自己否定しまくって、気分が落ち込んでなにもできなくなるくらいなら、とりあえず現状を肯定してみて、それから対策を考えた方がいいよ、ということを書いた。

 

だから最近は、無為に自分を否定するのではなく、なるべく自分を認めてやろうと意識しているのだが、「ちょっとこれは違うのかな」と思うときがある。それについて少し話をしたい。

 

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僕はなるべく自分を認め、受けいれていこうと意識している。ダメな自分。クズな自分。やる気のない自分。頑張れない自分。怠惰な自分。などなど。これらすべてを受け入れ、肯定しようと意識している。

 

だが、ダメでクズでやる気がなく、頑張ることもできず怠惰な自分を肯定したところで、それは単なる「開き直り」なんじゃないか、という疑問が湧いてくるのだ。

 

自分を肯定することと開き直る、もしくは正当化することの違い。これを勘違いしてしまって自分の都合の良いように考えてしまっては、ますますダメ人間になっていく一方だ。これではいけない。

 

このことに自分で気づけたのはとても良かった。だけど、このことに気づいたはいいものの、「肯定」と「正当化・開き直り」の区別が思っている以上に難しいのだ。

 

 

今日一日、なんとなく頭のなかでこのことについて考えていたが、いまいち良い回答を出すことができなかった。

 

自分を「肯定」することと「正当化」することのバランス。これがとても難しい。いつもクズ脱却の参考にしている「まじめ系クズの日常」というブログでも同じようなことに言及していた。


言い訳で自己正当化し始めると手に負えなくなる : まじめ系クズの日常

 

自己正当化を続けることにより、些細なことに対しても言い訳を考えるようになってしまいます。自分を「許す」というのは「堕落」とは違います。

(中略)

自分に言い訳ばかりするクズは許す事と堕落を混同し、堕落の道へと自分を導いてしまいます。そうして自分がクズであることを正当化して、そんな自分を許してくださいバブーっと他人への許しを請うようになってしまうのです。

 

ああ、まさに僕のことだ。今の僕はきっと「堕落」する道を選択してしまっているんだろう。過度な自己否定がダメなら、過度な自己正当化もダメということだ。バランスが難しい。

 

「自分に言い訳しないためには」

自分に制限を設けないこと。言い訳ばかりする人と絡まない環境を作ること。小さな成功を積み重ねること。自分への言い訳は自信の無さを覆い隠す事にも繋がっています。自分の自信をどんどん育てて、自分を成長させてあげれば言い訳なんてしなくても良い人間になれると思います。 

 

自信の無さを隠すために自分に言い訳をして自己正当化をしている、と。「大丈夫大丈夫、これが俺なんだから」なんて言って、自分に言い訳をしているのは「堕落」まっしぐら。「成長」には結びつかない。

 

人間として「成長」していくには、正しく自分を許し、肯定していくことから始まるんだろう。しかし、これが意外と難しいのだ。すぐにできるようになるものでもない。少しずつ少しずつ冷静に自分を観察し、正しい判断をするように意識しないといけないのかな、と思う。

 

このことに関して、よかったらみなさんの意見をお聞かせください。

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