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生きづらいふ

人生をクリアに、シンプルに、さわやかに。

ぬるま湯を脱出せよ、過保護のもと育った僕はすぐ人に甘えてしまう

3月24日に、家族が引っ越してきた。およそ1か月半、一人暮らしをしてきたが、これからはまた家族と暮らすことになる。数日、家族と暮らして気づいたのだが、どうも僕はすぐに人に甘えてしまうみたいだ。 

 

というのも、家族が越してきてから、またグズが再発してしまったのだ。一人暮らしをしていたときには改善できていたのに、だ。これはちょっとショックだ。

 

具体的にいえば、食事・皿洗いを母親に任せるようになってしまった。任せること自体は、そんなに問題ではないのかもしれない。家事は母親の役割でもあるのだし。ただ、僕がまずいと思ったのは、あきらかに家事に対して「めんどくさい」と思うようになったこと。

 

一人暮らししていたときは、掃除・炊事・洗濯・洗い物。どれもかなりテキパキとこなしていた。自分がやるしかない環境だったし、すべて自分の生活を回すための行為だから、何の苦もなくやれていた。

 

だけどひとたび、母親と暮らすようになった途端。「お母さんがやってくれるだろう」と母親に甘える気持ちが出てきてしまった。前よりも、ダラダラしている時間が長くなった気がする。これはいかん。

 

ただ、一人暮らしをする前の実家暮らしと比べたら、今のグズグズ度はだいぶマシだ。一人暮らしの経験が完全に消え去ったわけではない。僕のグズグズ度を表すと、一人暮らし前>>>>今>>一人暮らし、という順番になる。

 

おそらく、母親にかぎらず僕は人にすぐ甘えてしまうのだと思う。僕以外の人間が近くにいれば、「この人がやってくれるだろう」と期待して、自分は何もしない。行動がすべて受け身的で、つねに「待ち」の姿勢でいるのだと思う。

 

きっと小さいころから、過保護な環境で育ってしまったのだと思う。母親はなんでもやってくれる人だったし、学校の先生なども優しく過保護な先生が多かったように思う。「自分でやらなくても平気」な環境にどっぷり浸かってしまっていた。

 

ここちのよいぬるま湯に今まで浸かっていたのだ。ただ、いつまでもぬるま湯に浸かっているわけにもいかないだろう。それに、誰かに甘えてばかりの人生を生きたいとも思わない。自分で生きていきたい。主体的に行動していきたい。

 

そのためには、だれにも甘えられない環境を作ったほうがいいのだろうか?ぬるま湯から出るにはどんな方法があるだろう?あえて自ら厳しい環境に身を置くべきなんだろうか?とにかくいろいろやってみるしかなさそうだ。

© 2014 enpitsu