生きづらいふ

人生をクリアに、シンプルに、さわやかに。

人から好かれることが最優先事項

この一週間は、とてもつらくて、苦しくて、逃げ出したかった。仕事で自分のできなさが露呈して、それによる恥と自己嫌悪で苦しんだ。思い出す度に身震いしそうになるし、あしたからのことを考えても憂鬱で仕方がない。

 

仕事ができなくて苦しい、ならできるようになるためにがんばればいい、と普通は思うのだけど、たいした努力はしていなくて。同じことを継続することだけはしているけど、より成長しようという行動はできていない。

 

それはなぜなんだろう、と。自分がこんなに苦しいのに、なぜその苦しさから脱却することに繋がる努力をしないんだろう、と。そんな自問自答をしていてふと思い至ったのは、ぼくにとっての最優先事項は人に好かれることだからじゃないか、ということ。

 

ふだん極端に人から嫌われることを怖れているし、反対に好かれていると感じられないと安心できない。それは日常だろうが、仕事だろうがいっしょで、人と接している限りはつねにそれを気にしている。

 

嫌われたくない、好かれたい。これが自分のなかの最優先事項なので、正直仕事ができるかできないかはあまり関係なくて(間接的にはめちゃめちゃ関係あるのだけど)、そんなことより周囲の人たちから好かれているかどうか、が重要。

 

よく会社でいじられているのだけど、それがどんなにひどくても、好かれていたいから受け入れてしまう。必ずリアクションを取る。仕返しをしない。無視したり、仕返しをしたら、もういじってもらえなくなってしまうかもしれない。だから我慢しつつもいじられキャラを守っている。

 

そもそも最優先事項がそこなので、仕事のスキルを伸ばすとか、昇進するとか、会社に貢献するということにあまり興味がない。もちろん仕事で成果を出すことで、周囲から認められるという達成の仕方ができればいちばん健全なのだけど、現状いじられキャラを守ることで、達成しようとしているという間違った努力をしている。

 

つまり自分の最優先事項は周囲の人から好かれることで、それはいま自分のキャラクターを演じ切ることでなんとか満たせているので、仕事自体へと努力がいかないという状態。

 

でも、周囲のなかには自分のことを信頼してくれている、好いてくれていると感じられる人もいて(実際そうというより、ぼくがそう感じるかどうかの問題)、そういう人と接するときにはある程度安心感をもって話せるので、余計な心配事に脳のメモリを使わなくて済む。その分、多少生産的な思考ができる。

 

仕事ができるできない以前に、周囲から自分が好かれるかどうか、嫌われないかどうかに神経を使いまくっていて、まったく安心できない環境で仕事をしている。知識も経験もスキルもないので、嫌われるリスクのほうが高く、縮こまって仕事するしかなくなってしまっている。

 

じゃあどうしたらいいか、という解決策も浮かばず、この話をどう締めるかも見つかっていないうえに、なんだか今日は思考がまとまらないし、なにを書きたいのか見失っているし、書いているうちに自分がただのメンヘラダメ人間に思えて、だんだん落ち込んできてしまったのでもう無理やり締めようと思う。

 

これ以上考えるのはやめて、自分の気分が上がるようなことだけをしようと思う。