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生きづらいふ

人生をクリアに、シンプルに、さわやかに。

ひとは変われるのか

いまでこそ元気になった僕だけど、ちょっとまえまでは自分のことが大嫌いだった。激しく自己嫌悪して、毎日つらかった。なんでこんなにクズなのか、どうしたら普通になれるのか、どうしたら性格を変えられるのか。毎日考えていた。

 

あれからなんやかんやあって、いまはそこそこ自分のことが好きになった。基本的にはクズだけど、そんなに悪いやつでもない、と思っている。あれだけ苦しんでいたころがなつかしく思える程度にはいまは悩んでいないし、自分でも「変わったな」と思う瞬間があったりする。

 

ひとは変われるのだろうか。

 

生きづらかったころは何度も考えたテーマだ。どうやった変われるのだろう?そう考えて、ネットでさんざん検索したし、本も読み漁った。けど全然変われなくて、あいかわらずクズな自分を責めていた。みんなみたいになりたくてしかたなかった。普通になりたくてしかたなかった。変わりたくてしかたなかった。

 

結論からいえば、ひとは変われると思う。ただ実際には、イメージしているような「変わる」とはちょっとちがう。「変わりたい!」と切望しているときは、あたかも別人になる、と言わんばかりにいまの自分とちがう状態になりたがっている。いまの自分を全否定し、真逆の人間になろうとしている。

 

それは無理だ。あくまで自分は自分だし、別人になることはできない。ただの水が急にコーラになることはありえない。けど、水にコーラを注ぐことはできる。水にコーラをどんどん注いでいけば水は薄まり、コーラが濃くなっていく。けどどんなにコーラを注いでも、そのなかに水は必ず残っている。まったくべつの液体になることはなく、あくまで水とコーラが混ざっている状態になる。

 

それとおなじように、どれだけ変わろうとしても自分は残る。ポンっと別人に変身することはできない。けど、いまの自分を「薄める」ことはできるかもしれない。いったんいまのクズな自分を受け入れて、そこに新しい要素を注いでみる。そうすればいつの間にか、もともとのクズな部分が薄まるかもしれない。そして新しい要素が混ざって、以前とはすこしだけちがう自分が出てくるかもしれない。

 

僕自身の感覚としてはこんな感じだ。「変わった」というよりは「薄まった」という感覚。確実にクズな自分は残っているし、消しようがない。そこに人との出会いや、環境の変化、体調などいろんな要素が混ざって、時間をかけてすこしずつ以前の自分が薄まっていく。

 

だから必死で「変わろう」とするんじゃなくて、とりあえずはいまの自分を「薄めよう」とするくらいでいいんじゃないだろうか。どっちにしろ変わるにはそれなりの時間がかかるのだから、ゆっくりゆっくり混ぜていけばいい。

© 2014 enpitsu